相識之晩(相識ることの晩き)(「袁中郎文鈔」)
こういうのも読んでみましょう。・・・と読んでたら、うわ、またこんな「どえらい」時間に。

糖質依存症だと思うので、これを克服するためにタンパク質や脂肪分を摂ろうかなあ。自傷行為ではという懸念もある。
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明の萬暦年間(1573~1619)のことですが、
余一夕坐陶太史楼、随意抽架上書、得闕編詩一秩。
余、一夕、陶太史楼に坐して、随意に架上の書を抽きて、闕編詩一秩を得たり。
わしはある晩、「陶太子楼」という私設図書館の一室に泊まり込んで、好き放題に本棚から本を取り出していたが、その中に全編揃ってない詩集が一箱あった。
悪楮毛書、烟煤敗黒、微有字形。稍就灯間読之、読未数首、不覚驚躍。
悪楮にして毛書、烟煤に敗黒し、微かに字形有り。やや灯間に就きてこれを読むに、読むこといまだ数首ならずして、覚えず驚躍せり。
紙も悪いし、字は毛羽立ち、煙にいぶされたか黒ずんで、文字の形がやっと読み取れるぐらいだった。しばらく灯火の下に持ってきて読んでみた・・・が、まだ数首読んだだけで、不覚にも驚き飛び上がってしまった。
シェーーーーーーーーー!!!!!!
というような感じだったんです。
そこで、ここを紹介してくれて、同じように書物を漁っていた周望に呼びかけた。
闕編何人作者、今邪古邪。周望曰、此余郷徐文長先生書也。
「闕編は何びとの作るものか、今か古か」と。周望曰く、「これ余郷の徐文長先生の書なり」と。
「これ、この、全編不揃いのこれは、いったい誰が作ったのだ? 今の人か、いにしえの人か」
周望は覗き込んで答えた、
「これはわたしの同郷のひと、徐文長先生の書いたものだな。こんなところでお目にかかるとは」
それから
両人躍起灯影下読復叫、叫復読。僮僕睡者皆驚起。
両人、灯影の下に躍起して読みまた叫び、叫びまた読む。僮僕の睡れる者、みな驚きて起く。
二人で灯火の下で躍り上がりながら、読んでは「おおー!」と叫び、「ぎゃー!」と叫んでは読んだ。眠っていた下僕たちがみんな驚いて目を覚ました。
と、翌朝文句を言われました。
蓋不佞生三十年、而始知海内有文長先生。
けだし、不佞、生じて三十年、而して始めて海内に文長先生の有るを知る。
それにしても、このわたし、生まれて三十年、はじめてこのチャイナの地に文長先生というひとがいたのを知った。
噫、是何相識之晩也。因以所聞於越人士者、略為次第、為徐文長伝。
噫(い)、これなんぞ相識ることの晩きや。因りて越の人士者に聞くところを以て、略(ほぼ)次第を為して、徐文長伝を為(つく)れり。
ああ、どうしてこの人を知ることがこんなにおそかったのだろうか。そこで、浙江の知識人たちにいろいろ聞いて回って、大体そのひとのことがわかったので、年代を追って「徐文長先生の伝記」を作った。
―――徐渭、字・文長、会稽・山陰の諸生なり・・・。
天下に名だたる文章を書きながら、「諸生」とありますように、科挙試験を受けずに高官の幕僚として出仕し、後、容れられず、発狂して奥さんを殺したり、自傷行為を繰り返したりして、ついに「憤死」(激しく怒りながら死んだ)という伝記は、ファンも多いのですが、普通のひとは読んでてイヤになると思うので止めときます。
著者は「何ぞ相識ることの晩き」と嘆いていますが、死んでから知ったぐらいでちょうどよかったのでは。
最後に、著者曰く、
先生数奇不已、遂為狂疾。狂疾不已、遂為囹圄。古今文人牢騒困苦、未有若先生者也。
先生、数奇已まず、遂に狂疾を為す。狂疾已まず、遂に囹圄(れいご)と為る。古今文人の牢騒に困苦す、いまだ先生のごとき者有らざるなり。
徐先生は、どえらい生活態度が止まなかった。ついに病気になってしまった。病気が止まなかった。ついに牢屋に入れられてしまった。むかしから文人で牢屋に入れられて苦しんだ人はいるが、先生ほどヤバいことを仕出かした者はいないであろう。
しかし、先生の戦略や軍事に関する能力は、当時の為政者に中には認める人もあった。畏れ多くも皇帝にも報告されていたという。ただ、あまりに行動が異常で、許容されなかっただけなのである。
何よりも文学の面で時代に先駆けた。
先生詩文崛起、一掃近代蕪穢之習、百世而下、自有定論。胡為不遇哉。
先生、詩文に崛起し、近代の蕪穢の習を一掃すること、百世より下に自ずから定論有らん。胡(なん)すれぞ不遇ならんや。
先生は、詩や文章において大きな動きを起こし、近代の荒れ、汚れた文学のよどみを一掃してしまったのだ。これについては、百世代の後にはおのずと定まった評価もされるであろう。どうして不遇だったと言えようか。
友人の梅客生が、手紙を寄こした。その中に言う(以下「奇」を「どえらい」と訳しています。もう少し含意のあるコトバですが)、
文長吾老友、病奇於人、人奇於詩。
文長は吾が老友なり、病は人よりも奇にして、人は詩より奇なり。
徐文長はわたしの先輩格の友人であったが、その病気(によって仕出かした行為)は本人そのものよりさらにどえらかった。その本人は(どえらい作品と言われた)その詩よりもさらにどえらかったが。
と。
余謂文長無之而不奇者也。無之而不奇、斯無之而不奇也。悲夫。
余謂う、文長は之(ゆ)くとして奇ならざる無き者なり、と。之くとして奇ならざる無ければ、すなわち之くとして奇ならざる無し。悲しいかな。
わたしは思う、徐文長は何をやってもどえらい人だったのだ、と。何をやってもどえらい以上、どう行動しても世間からはどえらいやつとしか見られなかった。悲しいことではないか。
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明・袁宏道「徐文長伝」(「袁中郎文鈔」所収)より。文長先生の行動がちょっと「どえらい」のと、明日はまた平日なので、途中は自己規制です。手を抜いたのではないんです。
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