6月7日 負けるが勝ちと言い聞かせて今日も何とか

渡驢渡馬(驢を渡し馬を渡す)(「碧巌録」)

がんばって考えて、勝ってくださいよ、みなさん。

黄蔵司さまに禅問答で負けるとアレとられるかもよ。

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唐の時代のことです。趙州和尚のところへ旅の僧がやってきた。

僧は言った、

久響趙州石橋、到来只見略彴。

趙州和尚の棲む河北の趙州には有名な石橋があります。「略彴」(りゃくしゃく)は「丸木橋」のことだそうです。

「がっかり名所」というのはよくありますからね。「ほんとにそうじゃのう」などと答え・・・たら、この僧の思いのままになります。僧は、
(名高い趙州和尚だが、対面してみたらただのじじい、腐って落ちて行くしかないようなやつではないか)
と仕掛けてきているのです。「ほんとにそうじゃのう」などと答えたら、

「趙州め、わしの言葉に降参しおった!」

と言いふらされる。言い触らされたら負けだ。相手の勝ちだ。

趙州和尚は答えた。おそらく鼻で嗤うように。

汝只見略彴、且不見石橋。

よし、ここだ。ここで一歩ぐいっと踏み込んでいく。この僧も相当の手練れだ。

如何是石橋。

趙州すかさず言った、

渡驢渡馬。

(本体など関係ない、ロバもウマも、そして衆生もあの世に届けてやる働きをこそ見よ!)

「ぎゃふーん、やられました」

「わははは、まだまだじゃ」

とのことです。この勝負は趙州和尚の勝ちだった。

宋の雪竇重顕和尚がいう、

堪笑同時灌渓老、解云劈箭亦徒労。

唐の時代、灌渓志閑というこれも相当の禅師がおられた。「景徳伝灯録」巻十二によれば、この禅師も、やってきた僧侶に、

「長い間、灌渓というのは(灌(そそ)ぐ、というのですから)清流だと思っていたが、やってきてみれば漚麻池でした」

と訊かれた。「漚麻池」(おうまち)とは「詩経」陳風に出るコトバ、「麻を漚(ひた)しておく池」=澱んだ水たまり、ということだそうです。

灌渓禅師は言った、
「おまえさんは漚麻池を見ただけで、灌渓の方は見てないじゃないかのう」

「灌渓とはどんな渓谷なのですか」

禅師は即座に答えた、

劈箭急。

「なるほど!」

これもいい答えらしいんですが、自分の働きではなく本体を説明してしまっているから、相手を「ぎゃふん」とは言わせられない、というので、雪竇和尚は気にくわないらしい。

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宋・雪竇重顕編「碧巌録」第52則。でも、「わーいわーい灌渓和尚よりわしがすぐれている、わしが勝ちました」とか言っていると、「全くですなあ、あいつはダメですなあ、わしはあなたの味方です」「ぼくも」「わたしも」「わたしもよ」と勝った方に集まってくるやつがたくさんいますから、要注意の世の中です。わしのように、適当に鼻で嗤われているぐらいがよろしいのじゃ。今日もほろ苦い職業生活でした。

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