渡驢渡馬(驢を渡し馬を渡す)(「碧巌録」)
がんばって考えて、勝ってくださいよ、みなさん。

黄蔵司さまに禅問答で負けるとアレとられるかもよ。
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唐の時代のことです。趙州和尚のところへ旅の僧がやってきた。
僧は言った、
久響趙州石橋、到来只見略彴。
久しく趙州に石橋と響くも、到来すればただ略彴(りゃくしゃく)を見たり。
趙州和尚の棲む河北の趙州には有名な石橋があります。「略彴」(りゃくしゃく)は「丸木橋」のことだそうです。
長いこと、趙州には有名な石橋があると聞いてきましたが、来てみればただの丸木橋を見ただけでした。
「がっかり名所」というのはよくありますからね。「ほんとにそうじゃのう」などと答え・・・たら、この僧の思いのままになります。僧は、
(名高い趙州和尚だが、対面してみたらただのじじい、腐って落ちて行くしかないようなやつではないか)
と仕掛けてきているのです。「ほんとにそうじゃのう」などと答えたら、
「趙州め、わしの言葉に降参しおった!」
と言いふらされる。言い触らされたら負けだ。相手の勝ちだ。
趙州和尚は答えた。おそらく鼻で嗤うように。
汝只見略彴、且不見石橋。
なんじ、ただ略彴を見るのみ、且つは石橋を見ず。
「おまえさんは、丸木橋の方だけ見たのか。いっしょに石橋の方は見なかったのじゃな」(表面だけ見て、何もわかっておらんな)
よし、ここだ。ここで一歩ぐいっと踏み込んでいく。この僧も相当の手練れだ。
如何是石橋。
如何ぞ、これ石橋。
「(確かにそちらは見ておりませんが、)石橋の方はどんなものですか?」(じじい、おまえの本体は如何に?)
趙州すかさず言った、
渡驢渡馬。
驢を渡し馬を渡す。
「驢馬も馬も渡っていたじゃろう」
(本体など関係ない、ロバもウマも、そして衆生もあの世に届けてやる働きをこそ見よ!)
「ぎゃふーん、やられました」
「わははは、まだまだじゃ」
とのことです。この勝負は趙州和尚の勝ちだった。
宋の雪竇重顕和尚がいう、
堪笑同時灌渓老、解云劈箭亦徒労。
笑うに堪えたり同時の灌渓老、劈箭を云うを解すもまた徒労。
唐の時代、灌渓志閑というこれも相当の禅師がおられた。「景徳伝灯録」巻十二によれば、この禅師も、やってきた僧侶に、
「長い間、灌渓というのは(灌(そそ)ぐ、というのですから)清流だと思っていたが、やってきてみれば漚麻池でした」
と訊かれた。「漚麻池」(おうまち)とは「詩経」陳風に出るコトバ、「麻を漚(ひた)しておく池」=澱んだ水たまり、ということだそうです。
灌渓禅師は言った、
「おまえさんは漚麻池を見ただけで、灌渓の方は見てないじゃないかのう」
「灌渓とはどんな渓谷なのですか」
禅師は即座に答えた、
劈箭急。
劈箭(へきせん)急なり。
「切り裂く矢のように、速い流れだ!」
「なるほど!」
これもいい答えらしいんですが、自分の働きではなく本体を説明してしまっているから、相手を「ぎゃふん」とは言わせられない、というので、雪竇和尚は気にくわないらしい。
同じ時代の灌渓のじじいは、お笑いものですなあ、切り裂く矢、とはよく言うたが、それ以上には相手に響かなかったのだから。
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宋・雪竇重顕編「碧巌録」第52則。でも、「わーいわーい灌渓和尚よりわしがすぐれている、わしが勝ちました」とか言っていると、「全くですなあ、あいつはダメですなあ、わしはあなたの味方です」「ぼくも」「わたしも」「わたしもよ」と勝った方に集まってくるやつがたくさんいますから、要注意の世の中です。わしのように、適当に鼻で嗤われているぐらいがよろしいのじゃ。今日もほろ苦い職業生活でした。
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