惟前二種人(前二種の人のみ)(「呻吟語」)
やる気のない人とある人でけんかしたら勝つ方は決まっているではありませんか。

この方と争ったら、やる気があろうがなかろうが、敗北のみ。
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明の時代のことですが、
体懈神昏、志消気沮、天下事、不是這般人幹底。
体懈(おこた)り神昏(くら)く、志消え気沮まる、天下の事は、これ這般(しゃはん)の人の幹する底(ところ)にはあらず。
からだは怠けており、精神はぼんやりしており、やる志は無くなっているし気分は落ち込む―――社会全体のことは、こんな人が中心になって掌るようなものではない。
ほんとですよね。どうぞ排除してください。
攘臂抵掌、矢志奮心、天下事、也不是這般人幹底。
臂を攘(はら)い掌を抵(う)ち、志に矢(ちか)い心を奮わす、天下の事は、これ這般の人の幹する底にはあらず。
腕まくりをして掌をぽんと拍ち、やるべきことを絶対にやると明言して心を昂らせている―――社会全体のことは、こんな人が中心になって掌るようなものでもありません。
ええー! こんな人が中心になってやっていくんではないのですか。どうぞやってください、と思っておりますよ。
幹天下事者、智深勇沈、神閑気定、有所不言、言必当、有所不為、為必成、不自好而露才、不軽試以倖功。
天下の事に幹する者は、智深く勇沈し、神閑(のど)かにして気定まりて、言わざるところ有るも言えば必ず当たり、為さざるところ有るも為せば必ず成し、自ら好んで才を露(あらわ)さず、軽試して功を倖(ねが)うを以てせず。
社会全体のことに中心となって対応するのは、知慮深く、勇気は心の底に秘め、精神にはゆとりがあって気力は一定で落ち着いている、思いをコトバにしないこともたくさんあるが、コトバにすれば必ず正しいことを言い、やらないこともあるが、やりだしたら必ず成功させる。自ら好んで才能を誇示することはなく、また軽々しく試して、なんとかなるだろうと手を出すようなことはしない人だ。
ええー! そんな人がいるんですか。
此真才也。世鮮識之。
これ真才なり。世にこれを識るは鮮(すく)なし。
こんなひとこそ「まことの才人」というべきだろう。現代社会でこんな人のことを知っている、という人は滅多にいない。
時々いるんですか。それなら探さないと・・・。
近世惟前二種人、乃互相譏。識者胥笑之。
近世はこれ前二種の人のみ。すなわち互いに相譏(そし)る。識者胥(みな)これを笑えり。
現代社会には、もう前二種のひとしかいない。そして、彼らは互いに謗りあっている。モノのわかった人たちはみんな、この言い争っている二派を嘲笑っているのだが。
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明・呂坤「呻吟語」148則。現代は二種のひとしかいません。ということは、「真才」はもういないので、探さなくてもいいのです。めんどくさいのでよかった。
あとはこの二種の人で争うしかないわけですから、今のままでいいということです。ああよかった。
↑のようにふざけてるように見えますが、呂心吾先生は、ほんとはいいこと言っているので、みなさんマジメに考えてみてちょんまげ。にょろろ~ん。
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