6月1日 月初めですがまたこんな話題から

一踴投河(一踴して河に投ず)(「觚賸」)

社会への抵抗の一つの形であったのかも知れない。大人はしようがないのですが子どもがなあ。「子ども庁」も「子ども家庭庁」だったしなあ。

ほとけさまよりコワいもの、教えてあげようか? それとも先に食べちゃおうかなー。

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清の初めのころのことですが、まだこのころは人びとの気性が真っすぐだった。

明代の相当高官にまで昇ったひと(丁某と聞き及ぶ)の子孫に、伯(長男)と仲(次男)とがあって、二人とも、

績学工文、而酷嗜仏法。

このうち、

仲於内室供准提画像、凌晨必焚香誦呪、跪而礼之。

准胝観音(じゅんでいかんのん)は、三十三観音の一とされ、女性形をとった観音様であり、帰依すると子どもを授けてくれたりするという。(サンスクリット語の「チュンディー」は、インド古代のヒンドゥー寺院などにいた神聖娼婦のこととする解釈があり、だとするとこの観音さまにもその面影があるのかも知れません。)

そんなお優しい観音さまだが、ところが、

一日、偶触婦怒、手裂像擲地。

「なんということだ!」

仲不能堪。

しかし、奥さんに文句を言うことはできません。

潜詣伯。

しかし、二人とも奥さんの悪口は言えません。次男は言った、

弟獲大罪過、無復生理。当捐此穢臭、以図懺悔。何如。

兄貴は言った、

弟言、是也。

於是仲逕出門、伯送於後。仲至岸、正衣冠、一踴投河。

儒者ですから、「泳ぎ」のような自分の体を使うことは学んでいません。このあたりが日本のサムライとは大きく違う。

どぶん。ぶくぶく。

伯、合掌曰、善哉。遂高唱往生呪。

「往生呪」は「般若心経」の最後のマントラ、

羯諦羯諦波羅羯諦波羅僧羯諦菩提薩婆訶

です。

この呪文の意味は

と解されています。

而還。適其家人見之、援救得免。

「わはは」「いひひ」「うふふ」
最後で笑い話みたいになってみなさん笑っているのでしょうね。

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清・鈕琇「觚賸」巻二より。みなさん笑うかも知れませんが、古典チャイナでは法は家庭に入らず、良家には家庭内刑罰権があり、これを奥さんが握っている場合も多かったらしいのです。下男下女を私刑するのは当たり前、場合によってはだんなも闇の内にヤラレてしまう・・・。現代語の「恐妻家」というコトバでは括り切れない社会体制だったので、少しは思いやってあげてください。一方、だんなも奥さんを毒殺したり、外部の人に頼んでコロしてもらったりするので、なかなか凄いんです。もちろん問題を起こさない人たちの方が多いんですけど、現代日本の温たかな家庭からは思いも寄らない状況だった・・・あれ? 

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