一踴投河(一踴して河に投ず)(「觚賸」)
社会への抵抗の一つの形であったのかも知れない。大人はしようがないのですが子どもがなあ。「子ども庁」も「子ども家庭庁」だったしなあ。

ほとけさまよりコワいもの、教えてあげようか? それとも先に食べちゃおうかなー。
・・・・・・・・・・・・・・・
清の初めのころのことですが、まだこのころは人びとの気性が真っすぐだった。
明代の相当高官にまで昇ったひと(丁某と聞き及ぶ)の子孫に、伯(長男)と仲(次男)とがあって、二人とも、
績学工文、而酷嗜仏法。
学を績(つ)み文に工(たく)みに、而して仏法を酷嗜せり。
儒学を相当学び、漢文も上手かった(知識人階級であった)が、仏教がたいへん好きであった。
このうち、
仲於内室供准提画像、凌晨必焚香誦呪、跪而礼之。
仲、内室に准提の画像を供え、凌晨必ず香を焚き呪を誦し、跪きてこれに礼す。
次男の方は(夫婦の)寝室に、准胝観音の画像をお飾りし、毎朝早くから必ずお香を焚き、准胝観音のマントラを誦して、正座して拝礼していた。
准胝観音(じゅんでいかんのん)は、三十三観音の一とされ、女性形をとった観音様であり、帰依すると子どもを授けてくれたりするという。(サンスクリット語の「チュンディー」は、インド古代のヒンドゥー寺院などにいた神聖娼婦のこととする解釈があり、だとするとこの観音さまにもその面影があるのかも知れません。)
そんなお優しい観音さまだが、ところが、
一日、偶触婦怒、手裂像擲地。
一日、たまたま婦の怒りに触れ、手ずから像を裂きて地に擲つ。
ある日、奥さんが(理由は書かれておりませんが)かんかんにお怒りになり、手で画像を引き裂いて地面に投げ捨ててしまったことがあった。
「なんということだ!」
仲不能堪。
仲、堪える能わず。
次男は、がまんができなかった。
しかし、奥さんに文句を言うことはできません。
潜詣伯。
潜かに伯に詣す。
隠れて長男のところにやってきた。
しかし、二人とも奥さんの悪口は言えません。次男は言った、
弟獲大罪過、無復生理。当捐此穢臭、以図懺悔。何如。
弟、大罪過を獲、また生理無し。まさにこの穢臭を捐てて、以て懺悔を図らん。何如(いかん)ぞ。
「弟であるわたしは、(家庭内を教育することができず、仏像を破られてしまうという)大いなる罪・過ちを犯して因業を作ってしまいました。もう生きていくことはできません。この汚れて臭い(肉体という)ものを棄てて、懺悔すべきだと思っています。如何でしょうか」
兄貴は言った、
弟言、是也。
弟の言、是なり。
「弟よ、おまえの言葉は正しい」
於是仲逕出門、伯送於後。仲至岸、正衣冠、一踴投河。
ここにおいて仲、逕(すみや)かに門を出で、伯後より送る。仲岸に至り、衣冠を正して、一踴して河に投ず。
こうして、次男はすぐに(長男の)家の門を出て、長男はそれを後ろから送って行った。次男はまっすぐ河の岸辺に着くと、(儒者らしく)着物と冠の歪みを直して、ひょいと飛び上がると、河に飛び込んだ。
儒者ですから、「泳ぎ」のような自分の体を使うことは学んでいません。このあたりが日本のサムライとは大きく違う。
どぶん。ぶくぶく。
伯、合掌曰、善哉。遂高唱往生呪。
伯、合掌して曰く、「善き哉」と。遂に往生呪を高く唱う。
長男はそれを見て合掌し、「いいことだなあ!」と言うと、「あの世に行ける呪文」を高く唱えた。
「往生呪」は「般若心経」の最後のマントラ、
羯諦羯諦波羅羯諦波羅僧羯諦菩提薩婆訶
(ぎゃてい、ぎゃてい、はらぎゃてい、はらそうぎゃてい、ぼじそわか)
です。
この呪文の意味は
―――往ける者よ、往ける者よ、まったく往ける者よ、まったく彼の岸に往ける者よ、悟りに幸あれ。
と解されています。
而還。適其家人見之、援救得免。
而して還る。たまたまその家人これを見、援救して免かるを得たり。
そのまま帰ろうとした。ちょうどその様子を(長男の家の)下僕たちが見ていて、次男を救け上げたので、死ぬのを免れたのであった。
「わはは」「いひひ」「うふふ」
最後で笑い話みたいになってみなさん笑っているのでしょうね。
・・・・・・・・・・・・・・
清・鈕琇「觚賸」巻二より。みなさん笑うかも知れませんが、古典チャイナでは法は家庭に入らず、良家には家庭内刑罰権があり、これを奥さんが握っている場合も多かったらしいのです。下男下女を私刑するのは当たり前、場合によってはだんなも闇の内にヤラレてしまう・・・。現代語の「恐妻家」というコトバでは括り切れない社会体制だったので、少しは思いやってあげてください。一方、だんなも奥さんを毒殺したり、外部の人に頼んでコロしてもらったりするので、なかなか凄いんです。もちろん問題を起こさない人たちの方が多いんですけど、現代日本の温たかな家庭からは思いも寄らない状況だった・・・あれ?
コメントを残す