不嚼菜根(菜根を嚼(か)まず)(「郎潜紀聞」)
チキン食いたくなることもありますよね。

でも、どろどろの甘いのが一番ですよね。
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明末の混乱の中で母を李自成軍に殺され、清に帰順した湯斌(とう・ひん)は、順治・康熙帝に仕えて後に礼部尚書・工部尚書に到った名宦(すぐれた官僚)ですが、すごく清廉で、江蘇の巡撫(民政長官)であったとき、
日給惟菜韮。
日に菜と韮を給するのみ。
毎日、野菜類とニラしか配給を受けなかった。
ある日、帳簿を調べていて、突然、
ばん。
と帳簿を叩きつけた。怒ったのである。
某日、市隻鶏。誰市鶏者。
某日に隻鶏を市(か)えり。誰か鶏を市う者ぞ。
「〇〇日にニワトリを一羽買っているではないか。ニワトリを買わせたのは、誰だ!」
出納係の下僕が頭を地面に叩きつけて謝罪しながら言った、
公子。
公子なり。
「お坊ちゃんさまでいらっしゃいます」
公はお怒りおさまらず、
立召公子跪庭下而責之。
立ちどころに公子を召して庭下に跪かしめてこれを責む。
すぐに息子を呼び出して、庭に正座させると、責め立てた。
汝謂蘇州鶏賤如河南邪。汝思啖鶏、便帰去、悪有士不嚼菜根而能立者。
汝、蘇州の鶏の河南の如く賤(やす)きと謂(おも)えるか。汝、鶏を啖うを思わば、すなわち帰り去れ。いずくんぞ士にして菜根を嚼(か)まずして能く立つ者有らんや。
「おまえは、この蘇州のニワトリが故郷の河南のニワトリのように安価だと思っているのか! (蘇州は物価が高いのだ。)おまえがもしも(野菜ばかりでなく、時々は)ニワトリが食べたいと思うのなら、ここから立ち去って、河南の郷里に帰れ! サムライのくせに、野菜の根っこを咬むような生活をせずに、立派な人になれるものがいると思っているのか!」
と言って、ムチで殴りました。ドメスティック・バイオレンスです。
そして、
并笞其僕而遣之。
あわせてその僕を笞うちてこれを遣れり。
一緒に出納係の下僕も笞で殴って、やっと解放した。
「え? わたしもですか」「うるさい!」と怒号が聴こえそうです。パワハラだ。
任期満ちて蘇州から都に帰る時、荷物を運ぶ馬の数はほんの数匹で、一頭も増えていなかった。しかし、箱が一つだけ増えていた。
公、指謂祖行諸公曰、呉中価廉、故市之。然頗累馬力。
公、祖行の諸公に指さして謂いて曰く、「呉中価廉なり、故にこれを市う。然るに頗る馬力を累す」と。
湯公は、はなむけの儀礼に来てくれた地元の名士たちに、この箱を指さして、言った。
「ここ蘇州では、これだけは他の土地より安かったんで、これを買ってしまった。だが、えらくウマに苦労させてしまいそうじゃ」
箱の中に入っていたのは、
惟廿一史。
廿一史(にゅういちし)のみ。
「二十一史」が一揃え、あるだけであった。
「二十一史」は清の初めまでに揃っていた、チャイナの正史のことです。
史記、漢書、後漢書、三国志、晋書、宋書、南斉書、梁書、陳書、魏書、北斉書、周書、隋書、南史、北史、新唐書、新五代史、宋史、遼史、金史、元史 を数えれば二十一になりますよね。
これに、旧唐書、旧五代史、清代になって編纂された明史を加えた二十四史まで現代では出来ています。なお、これに清代に用意されていた清史の原稿、すなわち「清史稿」を合わせて大陸チャイナでは「二十五史」で売ってくれます。ただ、「清史稿」は次の「王朝」となった「民国」が正史として編纂し直していないので、民国が反乱者として登場する(「明史」までは、ちゃんと編纂されているので、多くの謀反人や侵略者のうち新しい王朝を作った皇帝については「正統な後継者」として別扱いにされています)ので、中華民国では「二十四史」で売ってくれるらしいんです。
わたしがこういうのに興味持ち始めた40年前の話なので、今はさすがに違うかと思いますが、おもしろいですよね。
閑話休題。ということで、湯斌は、江南では「二十一史」一そろえを買う以外、何も受賄や貯蓄をせずに帰京した。
当時輿評、謂清興以来、八座之中一人而已。
当時の輿評に謂う、清興りて以来、八座の中に一人のみ、と。
「八座」というのは、明から清にかけて、宮中の最高の官職が八ポストだったことから、宰相・副宰相クラスの超重臣のことをいう用語です。
当時の世論(輿論)では、湯斌は、「清帝国が出来てから、最高級の高官まで昇りつめた人では、清廉潔白だったのは彼一人しかいない」と評価されていた。
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清・陳康祺「郎潜紀聞」三筆巻二より。清の初めのころの世論(輿論)ですからね。後になればもっとたくさん次々と・・・いや、ダメか。
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