我此時情(我がこの時の情)(「東坡全集」)
若いころは二度と来ませんぞ。二度来られたら困るような恥ずかしいことも多いと思いますが。

わしは若いころに恥ずかしいことなどしてないぞ!大日本史などの編纂を始めたりした・・・のが恥ずかしいことかも。
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北宋の時代のことなんですが、
少年時、嘗過一邨院、見壁上有詩。
少年の時、嘗て一邨院を過ぐるに、壁上に詩有るを見る。
若いころ、とある田舎のお寺に立ち寄った時、壁に詩が書きつけてあったのが目に入った。
全部は覚えていないのだが、印象的な対句があった。
夜涼疑有雨、院静似無僧。
夜涼しくして雨有らんかと疑われ、院静かにして僧無きが似(ごと)し。
夜になって涼しくなってきた。一雨来るのだろうか。
お寺の中はたいへん静かだ。僧侶は誰もいないのだろうか。
不知何人詩也。
知らず、何人の詩なるかを。
いったい誰の詩であったかはわからなかった。
さて、わしももう年寄になってきました。しかも罪に問われて左遷された。まだ住宅もありません。
宿黄州禅智寺、寺僧皆不在。
黄州の禅智寺に宿するに、寺僧みな在らず。
安徽・黄州の禅智寺というお寺に下宿しているが、今宵は寺の僧侶は一人もいない。
夜半雨、作偶記此詩、故作一絶。
夜半雨ふり、たまたまこの詩を記し、故に一絶を作れり。
夜中に雨が降ってきた。ふと若いころ見たその詩を思い出した。そこで、この絶句一篇を作ったのである。
と言って、作りました詩は以下のとおり。
仏燈漸暗饑鼠出。山雨忽来修竹鳴。
仏燈漸く暗くして饑鼠(きそ)出づ。山雨忽ち来たりて修竹鳴る。
「修」はここでは「長い」「背が高い」の意。
仏壇の前のあかりも(あぶらが減って)だんだん暗くなってきたので、腹を減らしたネズミがうろちょろし始めた。
山から雨があっという間に降りてきて、(風もあるので)周りの背の高い竹が鳴っている。
なんとも寂しくなってきました。
知是何人旧詩句、已応知我此時情。
知りぬ、これ何人の旧詩句なるか、已にまさに我がこの時の情を知るべし。
「知、何・・」という構文は、読み下しでは「何・・・を知りぬ」となりますが、これを現代日本文に合わせて「何であったかを知った」と訳してしまうと大間違いです。漢文の意味は、「(それが何ものかがわからず)疑問に思った、ということを知った」という意味で、現代日本文では「何であったかわからなかったことを、今も確認した」みたいな文章に訳されますので、要注意。意味としては「不知、何・・・」(何であるかを知らない)と同じになるんです。
「知と不知が同じになるなんておかしい、肝冷斎はダメだ」
「ほんとうに何をやってもダメなひとね」
「少しは成長しろや」
と言われても困ります。現代日本語の「なに」と漢文の「何」の持っている意味が少しだけズレているからなんです。
あれがいったい誰の詩句だったのかはいまだにわからないが、
その時点で、もう今現在のわたしの気持ちを描き当てていたのだ。
さびしいけれど、昔の人もさびしかったんでしょう。
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宋・蘇東坡「一絶」(「東坡詩集」所収)。今日、むかし二十代三十代のころ生活していたあたりをさまよってしまいました。涙出てくるね( ;∀;)。懐かしくて。←こんな顔文字も懐かしいね。しかし涙とともに昔の自分の愚かしさを思い出して笑ってしまいました。ここに変なビデオ屋さんがあったとか、ここでそば食ったあとまだ満腹せずにこちらでラーメン食ったとか、思い出した。笑ったあと、また涙出てきました。もうずいぶん多くの人がいなくなってしまったなあ・・・。

この近くに住んでいたのである。
ところで、蘇東坡が「誰の作品かいまだにわからない・・・」と言っていますが、これは明の都穆というひとが探し当てました。宋初の潘閬(はんろう)の詩集を丹念に読んだら出てきたそうです。(近藤光男「蘇東坡」集英社1972「中国詩人選5」による)
〇夏日題西禅院(夏の日、西の禅院に書きつける)
此地絶炎蒸、深疑到不能。
この地は炎蒸を絶するも、深く到ること能わざるを疑いぬ。
このお寺の場所は、夏のむしむしした暑さから無縁である。
こんなところに来れるなんてずっと思ってもいませんでした。
夜涼如有雨、院静若無僧。
夜涼しくして雨有るが如く、院静かにして僧無きがごとし。
夜になって涼しくなってきた。一雨来るのだろうか。
お寺の中はたいへん静かだ。僧侶は誰もいないのだろうか。
枕潤連雲石、窗明照仏燈。
枕は連雲の石に潤い、窗は照仏の灯に明るし。
(山中なので)雲とつながっている(雲を生み出す)石が近いので、枕はしっとりと冷たく、
ともし火が夜通し仏像を照らしているので、窗はいつまでも明るい。
浮生多賤骨、時日恐難勝。
浮生に賤骨多く、時日恐るらくは勝え難からん。
世俗で暮らしてきたわしには、卑屈な性質が多くなりすぎていて、
いつまでもこんな境遇にいさせてもらえるはずがないのが、心配である。
いつまでもいたいなあ・・・。
東坡の思い出とは違って、この詩自体はさびしいのではなくお寺の生活のすばらしさを描いているようです。おそらく雨も降ってきてないし、僧侶も静かなだけで不在ではない。なお、ほんの少しだけ字が違っていますが、東坡の方の記憶違いでしょう。わしも物忘れがひどいんじゃ。
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