5月26日 むかしはもっと食えた

我此時情(我がこの時の情)(「東坡全集」)

若いころは二度と来ませんぞ。二度来られたら困るような恥ずかしいことも多いと思いますが。

わしは若いころに恥ずかしいことなどしてないぞ!大日本史などの編纂を始めたりした・・・のが恥ずかしいことかも。

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北宋の時代のことなんですが、

少年時、嘗過一邨院、見壁上有詩。

全部は覚えていないのだが、印象的な対句があった。

夜涼疑有雨、院静似無僧。

不知何人詩也。

さて、わしももう年寄になってきました。しかも罪に問われて左遷された。まだ住宅もありません。

宿黄州禅智寺、寺僧皆不在。

夜半雨、作偶記此詩、故作一絶。

と言って、作りました詩は以下のとおり。

仏燈漸暗饑鼠出。山雨忽来修竹鳴。

「修」はここでは「長い」「背が高い」の意。

なんとも寂しくなってきました。

知是何人旧詩句、已応知我此時情。

「知、何・・」という構文は、読み下しでは「何・・・を知りぬ」となりますが、これを現代日本文に合わせて「何であったかを知った」と訳してしまうと大間違いです。漢文の意味は、「(それが何ものかがわからず)疑問に思った、ということを知った」という意味で、現代日本文では「何であったかわからなかったことを、今も確認した」みたいな文章に訳されますので、要注意。意味としては「不知、何・・・」(何であるかを知らない)と同じになるんです。

「知と不知が同じになるなんておかしい、肝冷斎はダメだ」
「ほんとうに何をやってもダメなひとね」
「少しは成長しろや」

と言われても困ります。現代日本語の「なに」と漢文の「何」の持っている意味が少しだけズレているからなんです。

さびしいけれど、昔の人もさびしかったんでしょう。

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宋・蘇東坡「一絶」(「東坡詩集」所収)。今日、むかし二十代三十代のころ生活していたあたりをさまよってしまいました。涙出てくるね( ;∀;)。懐かしくて。←こんな顔文字も懐かしいね。しかし涙とともに昔の自分の愚かしさを思い出して笑ってしまいました。ここに変なビデオ屋さんがあったとか、ここでそば食ったあとまだ満腹せずにこちらでラーメン食ったとか、思い出した。笑ったあと、また涙出てきました。もうずいぶん多くの人がいなくなってしまったなあ・・・。

この近くに住んでいたのである。

ところで、蘇東坡が「誰の作品かいまだにわからない・・・」と言っていますが、これは明の都穆というひとが探し当てました。宋初の潘閬(はんろう)の詩集を丹念に読んだら出てきたそうです。(近藤光男「蘇東坡」集英社1972「中国詩人選5」による)

夏日題西禅院(夏の日、西の禅院に書きつける)

此地絶炎蒸、深疑到不能。

夜涼如有雨、院静若無僧。

枕潤連雲石、窗明照仏燈。

浮生多賤骨、時日恐難勝。

いつまでもいたいなあ・・・。

東坡の思い出とは違って、この詩自体はさびしいのではなくお寺の生活のすばらしさを描いているようです。おそらく雨も降ってきてないし、僧侶も静かなだけで不在ではない。なお、ほんの少しだけ字が違っていますが、東坡の方の記憶違いでしょう。わしも物忘れがひどいんじゃ。

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