5月25日 東洋の年よりはこうでなくては

我来安好(我が来たること安好なり)(「有台仙館筆記」)

わしもムダメシを食わないように気をつけたいと思います。

こんなの当たったら死んでしまうでぶー。

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今(清末)から100年ぐらい前、乾隆帝や嘉靖帝の時代のことですが、福建の杭州に高某というひとがいた。

勇於為善、其少壮時已不殺生、晩年并断葷血。然不奉仏。能辟穀数日不饑。

ムダメシも食わなかったのでしょう。

年八十余、無疾而死。

その古い友人で数千キロ離れた四川の成都に住んでいる人がいたが、

一日忽遇高於途。

びっくりして言った、

君高年来此、何為。

なんにせよ、ぜひ、わしの家に寄って行ってくれ」

高は困ったように言った、

我尚思游峨眉山、君其先帰。有扇一握、麈尾一柄、煩君携至我家。并為伝語児曹。

我此来安好、勿念也。

「わかった・・・」

―――その友は、杭州までそのことを記した手紙と扇子・麈尾を届けてくれた。

家人らが驚いたことに、

高死五月矣。

友人からの手紙に書いてある成都での遭遇の日は、

即其死日。

そして、

一扇一麈尾、皆殉葬物也。

ただ、誰も棺桶まで開いて中がどうなっているかを確認する気にはならなかった。不思議でも何でもない、高老人のような人にはよくあることだ、とみんな思ったからである。

此事載高氏家譜。余門下士高海垞、其族孫也。為余言之。

だから、信憑性はすごく高い・・・と言いたいようです。

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清・兪樾「有台仙館筆記」巻七より。不思議でも何でもないですよ。量子力学の最先端の仮説によればこんなこと当たり前らしいんです。死んだ人は死んでいなくて、あちらで活躍しておられるらしいんです。

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