又何加焉(また何をか加えんや)(「説苑」)
こんなに簡単なんですか。

いい病院を紹介してくれるのは名医であるということか。
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春秋時代の終り頃のことである。
子貢問大臣。
子貢、大臣を問う。
子貢が、「大臣(偉大な政治家)とはどんな人でしょうか」と質問した。
子曰、斉有鮑叔、鄭有子皮。
子曰く、斉に鮑叔有り、鄭に子皮有り、と。
孔子はおっしゃった、
「斉に鮑叔(ほうしゅく)がおり、鄭に子皮がおった(。そういう人たちのことじゃ)」
「ええー?」
子貢曰、否。斉有管仲、鄭有東里子産。
子貢曰く、否なり、斉に管仲有り、鄭には東里の子産有るなり、と。
子貢は驚いて言った。
「そんなことは無いでしょう。斉には管仲がおり、鄭には東町の子産がいたとは聞きますが」
孔子曰、然。
孔子曰く、然り、と。
孔子はおっしゃった、「そのとおり」。
「はあ?」
孔子は続けておっしゃった、
吾聞鮑叔之薦管仲也、子皮之薦子産也。未聞管仲子産有所薦也。
吾聞く、鮑叔の管仲を薦め、子皮の子産を薦むるなりと。いまだ管仲・子産の薦むるところ有るを聞かず。
「わしは、鮑叔が管仲を推薦し、子皮が子産を推薦した、と聞いている。しかし、管仲や子産が誰か立派な人を推薦したとは聞いたことがないなあ」
「なーるほど」
子貢は言った、
然則薦賢賢於賢。
然れば則ち、賢を薦むるは賢よりも賢なるなり。
「ということは、つまり、賢者を推薦するというのは賢者より賢いことなんですね」
孔子は言った、
知賢、智也。推賢、仁也。引賢、義也。有此三者、又何加焉。
賢を知るは智なり。賢を推すは仁なり。賢を引くは義なり。この三者有りて、又何を加えんや。
「誰が賢者であるかを知っているのは「智」(≒知恵・知識)のある証拠じゃ。賢者を推薦してえらくなってもらおうとするのは、「仁」(≒やさしさ)のある証拠じゃ。賢者に任せようとするのは、「義」(≒正義)のある証拠じゃ。この三つ(智仁義)がそろっているのだから、それ以上何を加えることがあろうか」
「なーるほど」
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「説苑」臣術篇より。それ以上何も加える必要がない。オッカムのカミソリの理論ですね。
賢者なんか簡単だということがわかりました。よし、明日は賢者になろう・・・ところで、誰を? 孔子の言葉はたいへん含みのあるいいコトバですが、現代は〇ズリーチが知ってるはずだから楽ちんです。よかった。
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