称余博物(余の博物なるを称す)(「墨余録」)
「うっしっしー」と自己称賛する、その足元にこそ問題はすでに忍び寄っているのですなあ。

人間はどこが美味いのかしらね。おっほっほー。
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清の同治年間(1862~74)のことですが、わたしは友人の兪恭甫と一緒に、西商の密(西洋商人の、おそらく「ミル」の音訳だと思います)の邸宅に招かれた。ミルは幼いころから交易船に乗って廣東に来ていたので、チャイナ語もペラペラなのである。
部屋には「遠光鏡」と名付ける一丈(3.2メートル)以上もある竹筒のような細長い管が設けられていて、これを覗くと四五里(一里≒600メートル弱)も先の漁師の魚籠の中の魚とか、会話している親子の口の動きとか、すべて間近に見える。また、三足鳥とか人魚の臘(ミイラ)とか、そんなのをいろいろ見せてくれた。
最後、一泥金匣。内蔵残燭一枝、色淡碧、隠有紅糸細紋、作鳥獣花木状。
最後に、一の泥金の匣あり。内に残燭一枝、色淡碧にして、隠に紅糸の細紋有りて鳥獣花木の状を作すを蔵す。
最後に出してきたのは、泥金を塗った小箱で、その中には燃え残りのろうそくが一本だけ入っているのだった。ろうそくは色は淡い緑色、透かしのように赤い糸で細かな模様があり、鳥やケモノ、花や木の姿が見てとれた。
この細工だけでも大したものだとは思ったが、しかしこれだけなら我が清朝の職人にも彫ることはできるであろう。
だが、ミルは誇らかに
「これは滅多なことではお見せしておりませんのデースが、お二人には特にお見せするのデース」
と言いながら、
燃之。
これを燃やす。
ろうそくに火をつけた。
香流一室、徐於焔中出煙一縷。其初細若游糸、纔則濃如吐霧、高至盈丈、而凝結不散。
香一室に流れ、徐むろに焔中より一縷の煙を出だす。その初めは細きこと游糸のごとく、纔かにすれば濃きこと吐霧の如く、高さ盈丈に至り、しかして凝結散ぜず。
部屋中に不思議な香りが漂い、そのうちに、炎の中から一筋の煙が出てきた。煙ははじめのうちはクモの糸のように細かったが、しばらくすると霧が吐き出されているかのように濃密になって、一丈(3.2メートル)の高さまで昇った。そして、そこから広がることなく、固まったように止まった。
「おお」
その固まった煙には、
指顧間、微見山林屋宇、丹碧隠然。
指顧の間に、微かに山林屋宇を見(あら)わし、丹碧隠然たり。
指で指すすぐのところに、山や森や家家がぼんやりと現れ、赤や緑の色もなんとなく見えるのだ。
声も無く見つめているうちに、
旋滅燭、而所結之煙、移時始化。
旋(たちま)ち滅燭するに、結ぶところの煙、移時にして始めて化す。
一瞬のうちにろうそくの火が消え、さきほどまで凝結していた煙は、しばらくしてようやく散って消えてしまった。
「さて」
密因問識此物否。
密、因りてこの物を識るや否やを問う。
そこで、ミルは、「この品物、ご存じですカナ?」と訊いてきた。
兪はわからないようであったが、わしは自信があったので、答えた。
是殆蜃脂所成乎。
これ、ほとんど蜃の脂の成すところならんか。
「これは、おそらく、巨大ハマグリの脂肪から作ったものでしょう?」
すると、密は、驚いたような顔をして、
諾諾、称余博物。
諾諾し、余の博物を称す。
何度か頷いて、わしの博学なのをほめたたえた。
「たいへんな博識デスな、いや、すごい」
「ほほう、そうなのか」
兪君請其詳。余曰、埤雅嘗載南海有蜃、嘘気能幻海市。取其脂為燭、香聞百歩、煙結亦成楼閣。
兪君その詳を問う。余曰く、「「埤雅」に嘗て載するに、「南海に蜃有りて、嘘気よく海市を幻す。その脂を取りて燭を為すに、香百歩に聞し、煙結びてまた楼閣を成す」と」と。
兪君がもう少し詳しく教えてくれというので、わしは言った、
字書の「埤雅」(ひが)を以前読んでいたところ、このような記述があった。
―――南の海に巨大なハマグリが棲息しており、そのハマグリが気を吐くと、それが海上のまぼろしの町(すなわち「蜃気楼」)を作り出す。そのハマグリの脂肪分を取ってろうそくを作ると、香りは百歩外までにおい、煙が凝結してやはり楼閣の姿を現わす。
と。
頃偶憶及、不意所言之果有合也。
頃偶憶し及ぶに、意わず、言うところの果たして合する有るやを。
「以前覚えたことなのだが、それがこれのことだとは、あまり自信は無かったのだがね」
遂相与一笑。
遂に相ともに一笑す。
そこで、二人で一笑いしたものだ。
うっしっしー! みたか、わしのこの博識!
さてさて。
昔有使臣、共夷酋宴会。饌供人魚。
昔、使臣有りて、夷酋とともに宴会す。饌に人魚を供せり。
むかし、外国に使いに出かけた外交官が、えびすの酋長と宴会した。すると、人魚の料理が出て来た。
使臣即取魚双目啖之、以味在是也。酋再拝賛其博。
使臣即ち魚の双目を取りてこれを啖らい、味のこれに有るを以てす。酋、再拝してその博を賛す。
外交官は、驚きもせずに即座に人魚の両方の目をくりぬいて食った。そして、
「この魚の美味いところはここだから、食べました」
と言った。えびすの酋長は二回礼拝して、彼の博識をほめそやした。
もちろん、彼個人の博識より、中華の文化の博大なるを称賛したのである。
観此蜃脂之対、其淵雅何遜前人乎。
この蜃脂の対を観るに、その淵雅、何ぞ前人に遜(ゆず)らんや。
この巨大ハマグリの脂肪についての回答を考え合わせるに、その深く雅びな知識は、むかしの外交官にも劣ることはないであろう(・・・と自分のことながら賞めてやりたいほどである)。
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清・毛祥麟「墨余録」巻三より。さすがは西洋、すごいモノを持っています。こんなモノがあるんですなあ。だがそれにも増して、「たいへんな博識デスな、いや、すごい」という、この「持ち上げ方」の見事さよ。やはり西洋には学ぶべきことがたくさんあるのだ。
ちなみに、深夜にこんな文章見つけてニヤニヤ読んでしまいました。そして、みなさんにも教えてあげようとしてすごい時間まで頑張りました。眠い。ふらふらする。今日はさすがに「埤雅」に当たるのはやめておきます。しかし、もしかしたらみなさん、今日にもこの人と同じように何か知ったかぶりをして、「たいへんな博識ですな、いやすごい」と言われて気分よくなって、後々まで遺る大恥をかいてしまうかも知れない、そんなことにならないように教えてあげておかなければ、という老婆心なんじゃ。年寄の話は、よくよく思いみることが大切ですぞ。
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