5月22日 こんな時間までがんばりました

称余博物(余の博物なるを称す)(「墨余録」)

「うっしっしー」と自己称賛する、その足元にこそ問題はすでに忍び寄っているのですなあ。

人間はどこが美味いのかしらね。おっほっほー。

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清の同治年間(1862~74)のことですが、わたしは友人の兪恭甫と一緒に、西商の密(西洋商人の、おそらく「ミル」の音訳だと思います)の邸宅に招かれた。ミルは幼いころから交易船に乗って廣東に来ていたので、チャイナ語もペラペラなのである。

部屋には「遠光鏡」と名付ける一丈(3.2メートル)以上もある竹筒のような細長い管が設けられていて、これを覗くと四五里(一里≒600メートル弱)も先の漁師の魚籠の中の魚とか、会話している親子の口の動きとか、すべて間近に見える。また、三足鳥とか人魚の臘(ミイラ)とか、そんなのをいろいろ見せてくれた。

最後、一泥金匣。内蔵残燭一枝、色淡碧、隠有紅糸細紋、作鳥獣花木状。

この細工だけでも大したものだとは思ったが、しかしこれだけなら我が清朝の職人にも彫ることはできるであろう。

だが、ミルは誇らかに
「これは滅多なことではお見せしておりませんのデースが、お二人には特にお見せするのデース」
と言いながら、

燃之。

ろうそくに火をつけた。

香流一室、徐於焔中出煙一縷。其初細若游糸、纔則濃如吐霧、高至盈丈、而凝結不散。

「おお」

その固まった煙には、

指顧間、微見山林屋宇、丹碧隠然。

声も無く見つめているうちに、

旋滅燭、而所結之煙、移時始化。

「さて」

密因問識此物否。

兪はわからないようであったが、わしは自信があったので、答えた。

是殆蜃脂所成乎。

すると、密は、驚いたような顔をして、

諾諾、称余博物。

「たいへんな博識デスな、いや、すごい」

「ほほう、そうなのか」

兪君請其詳。余曰、埤雅嘗載南海有蜃、嘘気能幻海市。取其脂為燭、香聞百歩、煙結亦成楼閣。

頃偶憶及、不意所言之果有合也。

遂相与一笑。

さてさて。

昔有使臣、共夷酋宴会。饌供人魚。

使臣即取魚双目啖之、以味在是也。酋再拝賛其博。

もちろん、彼個人の博識より、中華の文化の博大なるを称賛したのである。

観此蜃脂之対、其淵雅何遜前人乎。

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清・毛祥麟「墨余録」巻三より。さすがは西洋、すごいモノを持っています。こんなモノがあるんですなあ。だがそれにも増して、「たいへんな博識デスな、いや、すごい」という、この「持ち上げ方」の見事さよ。やはり西洋には学ぶべきことがたくさんあるのだ。

ちなみに、深夜にこんな文章見つけてニヤニヤ読んでしまいました。そして、みなさんにも教えてあげようとしてすごい時間まで頑張りました。眠い。ふらふらする。今日はさすがに「埤雅」に当たるのはやめておきます。しかし、もしかしたらみなさん、今日にもこの人と同じように何か知ったかぶりをして、「たいへんな博識ですな、いやすごい」と言われて気分よくなって、後々まで遺る大恥をかいてしまうかも知れない、そんなことにならないように教えてあげておかなければ、という老婆心なんじゃ。年寄の話は、よくよく思いみることが大切ですぞ。

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