5月21日 いいウソもあるんですよ(仏)

確非虚語(確かに虚語に非ず)(「郎潜紀聞」)

ウソも方便じゃよ、けけけけ、と笑っても許されるようなえらい人なのに、本当のことを言ったとは、それだけで尊敬してしまいます。

ピノキオレベルの地位ではウソは許されないであろう。

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我が清朝の咸豊期(1851~61)、満洲八旗の名将といえば、忠勇公・多隆阿さまの名がまず上がります。アヘン戦争や太平天国との戦での多将軍の智略や武勇について述べたい―――ところですが、まだ平日なのでガマンしておきます・・・が、

公治軍二十年、所得廉報、悉以賞健士、恤傷亡。

ということは言っておきたいと思います。このため、公の家族は大変貧しかった。

旧知の大臣が公の家が貧しいのを知って、

郵寄三千金贈其家。

家族からその大臣にお礼を言ってほしい、と連絡が来ると、

公馳卒追取、為戦士購征袍。

こんなこと教えたら、

「すばらしい、みなさんも見習って自助してください」

とZ務省が言ってくるかも知れません。同じ舌で「公助はしないけど税金は払ってください、いや、払え」とも言うでしょう。

多公と双璧といわれた名将・方将軍が戦傷を負った時、皇帝は宮中に秘蔵されていた秘薬を賜り、また黒竜江軍に属していたその息子に知らせて、

馳駅往視。

一方、多公が傷を負った時には、

其子絮衣葛履、寄食親串。

方将軍の息子の例に倣って、その子に多公の負傷の状態を報告に来るようにとの指示があったが、粗末な服しか持っていないので、

将軍資以行装、始得上道。

子どもが独立していなくて怪しからん、親と一緒に暮らす「こどおじ」だと批判しているのではありません。公的な仕事におカネをつぎ込んでいてので、独立の資金を与えていなかった、独立させるお金を持っていなかった、ということです。

多公は遺言で、

不使家有長物、身有余財。

と書いておられるが、

確非虚語。

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清・陳康祺「郎潜紀聞」二筆巻十三より。ほんと、家具や家財なんか要りませんよね。
なお、今日、NPBがボールの反発力は規定通りだったと発表しているのですが、現実に起こっていることを見たらウソだとわかるのでは?

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