持竿誦経(竿を持して経を誦す)(「後漢書」)
鶏追い機械の役もできないとは。これは叱られますよ。

おれたちに逆らおうとするとこうなるのでピヨ。
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後漢の高鳳、字・文通は河南・南陽のひとであった。
少為書生、家以農畝為業、而専精誦読、昼夜不息。
少(わか)くして書生と為り、家は農畝を以て業と為すも、誦読に専精して昼夜息(いこ)わず。
若いころに儒学の学生となった。実家は農業を生業としていたが、彼は本を声を出して読む儒学の学問にもっぱら精をこめ、昼も夜も休まなかった。
自らに厳しいノルマを課していたのでしょう。
あるとき、
妻之田。
妻、田に之(ゆ)く。
高鳳は役に立たないので、奥さんが田んぼ仕事に出かけた。
その際、
曝麦於庭、令鳳護鶏。
麦を庭に曝し、鳳をして鶏より護らしむ。
刈り取ったあとのムギを庭に広げて日光で乾かしていたので、
「あんたは他の役に立たないんだから、ニワトリが啄ばみに来ないように追い払うぐらいのことはしなさいね」
と妻から強く言われたのであった。
「うむ・・・」
と言いながら、本を読むのに忙しくて、ニワトリやヒヨコの食べ放題だった。
さらに、
時天暴雨、而鳳持竿誦経、不覚潦水流麦。
時に天暴雨し、しかるに鳳は竿を持して経を誦し、潦水の麦を流すを覚えず。
そのうち、天気が変わって大雨になった。しかし、高鳳は(ニワトリを追うための)竿を手にしたまま儒教経典を読んでいたので、溜まった水が乾かしていたムギを流してしまったのにも気づかなかった。
雨は上がりました。
妻還怪問、鳳方悟之。
妻還りて怪しみて問い、鳳はじめてこれを悟る。
奥さんが帰ってきて、「ムギが流されているじゃないの! あんた、なにしてたのよ!」と訊かれたので、高鳳は「あ、今気がついた」と、はじめて何が起こったのか知ったのであった。
「こ、この役立たず!」
「うひゃ~」
これはかなり説教されたと思います。持っていた竿を奪われて追い回されたりしたかも。ドメスティックだ、ハラスメントだ。ツラい。高鳳は謝まるばかりであった。
また、こんなことがありました。
隣里有争財者、持兵而闘。鳳往解之、不已。
隣里に財を争う者有りて、兵を持して闘う。鳳往きてこれを解かんとするも、已まず。
近所に、財産を争う者たちがあり、互いに武器を持ち出して闘いはじめた。高鳳は現場まで行って争いを止めさせようとしたが、止まない。
すると、高鳳は、
脱巾叩頭、固請曰、仁義遜譲、奈何棄之。
巾を脱し叩頭して、固く請いて曰く、「仁義遜譲、これを棄てて奈何(いかん)せん」と。
頭巾を脱ぎ捨てて頭を地面にがんがんとぶつけながら、
「人間としての優しさや正義感、そして譲り合う心、これを棄ててしまって、どうするんですか!」
と喚いた。
「なんだ、こいつ」「むむむ」
於是争者懐感、投兵謝罪。
ここにおいて、争う者感を懐き、兵を投じて謝罪す。
これをみて、争っていた者たちは感動し、武器を投げ出して、お互いに自分の罪を謝りだした。
よかったです。
その後、ついに名高い儒者となって、西唐山に塾を開いて多くの生徒を教えていた。
名声が高まりますと、
太守連召請、恐不得免、自言本巫家、不応為吏、又詐与寡嫂訟田。遂不仕。
太守、連ねて召請し、免れ得ざるを恐れて、自ら「もと巫家にして吏と為るべからず」と言い、また詐わりて寡嫂と田を訟う。遂に仕えず。
州の太守が何度も召し出して来た。このままだと呼び出しを断る理由が無くなってしまうことを恐れて、突然、
「わしの家はもともと代々、神おろしを業としておりましてな。(神おろしが役人になることは政府が禁じておりますから)、ほんとは役人になりたいけどなれませんなあ、ああ残念だなあ」
と言い出し、また、本意でなしに、死んだ兄貴のヨメさんと田んぼの所有権を争って裁判を起こし(て、人格的に問題があって役人として推薦できるような者ではない、と主張し)た。このようにして、(太守に呼ばれても)とうとう仕官しなかった。
建初年間(76~84)、今度は太守ではなく皇帝の差し回しの車が迎えに来たので、致し方なく都に向かったが、
託病逃帰。
病に託して逃帰す。
病気だと言ってすぐに逃げ帰ってきた。
仕官したのはこの時だけであった。
帰郷してくると、すぐに、
推其財産、悉与孤兄子、隠身漁釣、終於家。
その財産を推して悉く孤兄の子に与え、身を漁釣に隠して家に終われり。
財産を計算して、すべて死んだ兄貴の子(つまり、いつわって裁判をしていた兄ヨメの息子)に贈与すると、自分は漁師になって、それ以降は出仕することなく、家で死んだのであった。
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「後漢書」巻八十三「逸民列伝」より。おくさんから「〇立たず!」と罵られたら、「あ、いま気づいた」と、答えましょう。たいていの場合、あきれてくれると思います。
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