噉薤留白(薤を噉らうに白を留む)(「世説新語」)
頭は下げるもの、ニラは根っこを遺すもの、じゃ。

きゅうりだったら残さないでカッパ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・
ためになる・・・かも知れないお話です。
東晋の時代、咸和二年(327)、大尉の庾亮を討つことを名目に、蘇畯が反乱を起こしたんじゃ。この時、長江上流にあった名将・陶侃は、混乱を鎮めるために兵を発し、腹心の者たちに、
必戮庾、可以謝畯。
必ず庾を戮して、以て畯に謝するべし。
「まずは庾亮どのを殺して、蘇畯に謝罪することからじゃな」
と漏らしていた。
さて、庾亮は、蘇畯が自分を殺すことを名目として兵を起こしたと聞いて、何とか都・建康から逃げ出そうとしたが、三方を囲まれてしまった。残る一方からは、治安の維持を名目に陶侃の軍が迫っている。陶侃に救いを求めるべきなのだが、陶侃の方針はもうウワサになって伝わってきていた。
欲会、恐見執、進退無計。
会わんと欲するも、執らえられんことを恐れ、進退計る無し。
陶侃に面会したいのだが、そこで捕らえられて(殺されて)しまうことが心配されたから、どう行動すればいいか、方向性を失ってしまった。
すると、友人の温嶠が言った
卿但遥拝。必無他。我為卿保之。
卿、ただ遥拝せよ。必ずや他無し。我、卿のためにこれを保たん。
「(陶侃に救いを求めるしか逃げ場はありません。)あなたはただただ、遠くから陶侃にお辞儀をしなさい。そうすればそれ以上のことは起こりません。わたしはあなたのために保障しましょう」
ほんとか?
と突っ込みたくなるところですが、庾亮は覚悟を決めて、陶侃のところに面会に行った。
至、便拝。
至れば、すなわち拝す。
面会場に入ったところで、すぐに拝礼をした。
陶自起止之曰、庾元規何縁拝陶士衡。
陶、自ら起ちてこれを止めて曰く、「庾元規、何の縁によりて陶士衡を拝すや」と。
陶侃は立ち上がり、自ら庾亮を制して曰く、
「庾元規どの(字で呼んだ。罪人として認識していないということである)、どういう理由でこの陶士衡ごときに礼拝されるか」
庾亮は黙って拝礼すると、
畢、又降就下坐、陶又自要起同坐。坐定、庾乃引咎責躬、深相遜謝。
畢(おわ)りて、また降りて下坐に就き、陶もまた自ら起ちて同坐せんことを要(もと)む。坐定まり、庾すなわち引咎し責躬して、深く相遜(ゆず)りて謝す。
拝礼を終えて、さらに一段下がって席に着いた。陶侃は自らも立ち上がってそのあとを追いかけ、自分の席の隣に座ってくれ、と求めた。やがて、坐が定まると、庾亮は最初に自分の責任を咎め、深く謙遜して自らの罪を謝まった。
「いや、あなただけの責任ということはございますまい」
陶不覚釈然。
陶は覚えず釈然たり。
陶侃はいつの間にか庾亮を許容してしまっていた。
頭は下げないといけない、だけでなく、下げるといいことがあるみたいですね。
ところで、
陶性倹吝。
陶は性、倹吝(けんりん)なり。
陶侃は、若いころからケチであった。
及食、噉薤、庾因留白。
食に及びて薤(にら)を噉らうに、庾、因りて白を留む。
宴会になって食べ物が出てきた。ニラを食ったところ、庾亮は、わけありそうに、根っこに近い白いところだけ残した。
陶侃は目ざとく見つけて、訊いた。
用此、何為。
これを用いて、何をか為す。
「それは、何に使おうと考えておられるのか?」
庾亮は言った、
故可種。
もとより種(う)るべきなり。
「これは、植えることができるものですからね」
「おお!」
陶侃は、
於是大歎庾非唯風流、兼有治実。
ここにおいて大いに歎じて、「庾はただに風流なるのみならず、兼ねて治実有り」とせり。
このため、「庾亮どのはただの風流貴族ではない。実際に政治を行う能力がおありじゃ」と大いに感嘆したのであった。
・・・・・・・・・・・・・・
南朝宋・劉義慶「世説新語」仮譎二十七及び倹嗇二十九より。頭を下げるところまではタメになったかと思います。ニラはあまりタメにならなかったかも。
なお、さっき白ネギ食って美味かった。全部食べてしまったので陶侃さまから「この物価高に!」と叱られるかも知れません。
コメントを残す