5月15日 何の日だったか覚えてますか

去無所逐(去るに逐(お)うところ無し)(「蘇東坡集」)

肥っているので、追いかけようとすると動悸が激しいんです。

追いかけて来るとコワいよ。

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宋の時代のことですが、

我昔南行舟繋汴、逆風三日沙吹面。

「これはだんなが何か悪いことをしなさったからではないか」

船乗りたちがわしのせいにしようとするのである。

「気づかないうちに河の神、風の神に何か失礼をしていることもありますからなあ・・・」

舟人共勧禱霊塔、香火未収旂脚転。

風の方向が変わったのである。

なお、僧伽大師というひとは、唐のころ、西域から来た高僧で、この地で亡くなったのでその墓に塔が立てられた。これが霊験あらたかだというので、宋の時代にも参詣する人が絶えなかったのである。

回頭頃刻失長橋、却到亀山未朝飯。

お祈りをした効果だ、と言いたいかも知れませんが、

至人無心何厚薄、我自懐私欣所便。

理屈を言っているのではないのです。現実に考えてみてください。

耕田欲雨刈欲晴。去得順風来者怨。

若使人人禱輒遂、造物応須日千変。

ここのところ、ユーモラスに真理を表現しているわけです。

さて、赴任のために南に旅したときから数十年経ち、現代となった。

今我身世両悠悠、去無所逐来無恋。

実はもう左遷されて失業しているようなものなので、早く行ってやることなんか無いんです。

南に流されて行くため、また卞水まで来て風待ちをしている。

得行固願留不悪、毎到有求神亦倦。

この僧伽霊塔は、

退之旧云三百尺、澄観所営今已換。

それでも、

不嫌俗士汚丹梯、一看雲山繞淮甸。

ニヤニヤしながら嫌味を言っているんですよ。ユーモラスだ。

「甸」(でん)というのは、古代に「王の畿」というのが首都の周辺千里(六百キロぐらい)四方をいい、その外側に五百里(三百キロぐらい)の幅で広がるのが「甸」(でん)という王都に税金を納める地域だ(それよりそとは諸侯が封建される)とされていた(と信じられていた)ため、安徽・淮州あたりを「甸」と呼んでみた(、おいら学あるでしょ)、というものです。あまり気にしてはいけません。

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宋・蘇東坡「泗州僧伽塔」(安徽・泗州の僧伽塔のうた)(「東坡詩集」所収)です。どんな逆境でもニヤニヤと笑いと学びを絶やさない東坡居士の面目躍如たる詩ですね。わしも「去るものは逐うところ無く、来たるに恋うる無し」の状況です。平日にも会社に行かずにほっつき歩いていてよくなりました。どこをほっつき歩いていたかは、帰京してから整理しますぞ。

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