甘苦与共(甘苦共にす)(「五雑組」)
「イヤなら出てけ」と言われても、出ていく気はありませんよ、うっしっし。

このひとたちの由来はかなり無国籍だが、日本から出ていきはしません。
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明の時代のことですが、
臨辺幸民、往往逃入虜地。蓋其飲食語言既已相通、而中国賦役之繁、文網之密、不及虜中簡便也。
臨辺の幸民、往往にして虜地に逃入す。蓋し、その飲食語言は既已(すで)に相通じ、しかして中国の賦役の繁、文網の密なること、虜中の簡便に及ばざるなり。
国境近くにいるいい加減な人民は、往々にしてモンゴルなど異民族の地に逃げ込んでしまうことがある。なぜかというに、国境付近では、飲食物やコトバもだいたい互いに通じている(から不便ではない)し、我がチャイナの税金や強制労働の多さ、法規や文書行政の面倒さは、異民族の簡略なのに比べてイヤになってしまうからである。
「幸民」というのは、マジメにやってないのに、偶然なんとか生きていられるという点で幸運な民、という意味の言葉ですから、「いい加減な人民」という訳にしておきました。
面倒な熟語ですが、「春秋左氏伝」宣公十六年によれば、晋の国の政治がよくなったので、国内の盗賊は秦の領域に逃れた。これを評して、賢者・羊舌職(ようぜつ・しょく)が言った、
善人在上、則国無幸民。諺曰、民之多幸国之不幸也。是無善人之謂也。
善人上に在れば、すなわち国に幸民無し。諺に曰く、「民の多幸なるは国の不幸なり」と。これ善人無きの謂いなり。
よき人が支配階級にいれば、国に偶然の僥倖でうまいこと生きているような人民はいなくなる。俗に、「人民に偶然の僥倖が多いのは、(政治が予測不能だからであり)国家にとっては不幸な状態なのだ」と言うが、その状況は支配階級によき人がいない、ということである。
というコトバに基づいています。試験に出るかも知れませんよ。
さて、
虜法雖有君臣上下、然労逸起居甘苦与共。
虜法に君臣上下有りと雖も、然るに労逸・起居・甘苦共にす。
異民族の法規にも、君と臣とか上下の命令とかはあります。しかし、その風習は、君と臣、上と下が、労働と行楽、行くと止まる、楽をしたり苦労したり、これらをみな共有するのだ。
毎遇徙落移帳、則胡王与其妻妾子女皆親力作。故其人亦自合心勇往、敢死不顧。
落を徙(うつ)し帳を移すに遇うごとに、胡王、その妻妾・子女とみな親(みずか)ら力作す。故にその人また自ずから心を合して勇往し、死するも敢えて顧みざるなり。
集落ごとパオ(帳)を移動させる時も、いつも異民族の王さまとその妻・妾・男の子・女の子、みんな自分たちでも力仕事をする。それ故、その国のひとたちは、自然に心を合わせて勇気をもって行動し、死ぬことも厭わないのだ。
干戈之暇、任其逐水草畜牧自便耳。真有上古結縄之意。
干戈の暇には、その水草を逐いて畜牧し自ら便なるに任せるのみ。真に上古の結縄の意有り。
盾や戈を持ち出す戦争行為の無い時は、国民には水と草を求めて家畜を放牧して、行きたいところに行かせて束縛しないのだ。まことに、超古代文明の(まだ文字が無く)縄を結んで記録したという時代の精神そのままである。
「周易・繋辞伝」にいう、
上古結縄而治。
上古は結縄して治まる。
超古代に時代は、縄を結んで情報伝達をするだけで、ちゃんと治まったのじゃよ。
これも試験に出る・・・かも知れません。
ちなみに、インカ帝国の「結縄」(キープ)が伝えられて、縄を結んで記録するだけで高度な帝国が治まることが立証され、はるか古代に「縄を結んだ」だけで治まった時代があってもおかしくないことが判明した・・・のですが、インカを見る限り、すでにかなり高度な帝国で、やはり税金や労働や法規行政が大変だったかも知れません。
インカはともかく、異民族の社会では、古代のような純朴な政治が行われているのだ。
ところが、
一入中国、里胥執策、而侵漁之矣。
一たび中国に入れば、里胥策を執りて、これを侵漁す。
国境のこちら、文明の側に入ると、収税吏たちがムチを持って略奪していくのだ。
王安石のことばだったと思うが、
所謂漢恩自浅胡自深者、此類是也。
謂うところの「漢恩おのずから浅く、胡はおのずから深し」とは、この類これなり。
「こんなことでは、漢文明のありがたさはちっとも感じられないが、異民族の人情はおのずから深まる」
と言っているのは、このようなことなのだろう。
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明・謝肇淛「五雑組」巻之四より。こんな古典文化もあるし、出て行きませんよーだ。しかし、人民はどうやら税金が安くてインボイスなど手続きの面倒でないのがいいようです。困ったやつらですね。
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