好漢好漢(好漢なり、好漢なり)(「右台仙館筆記」)
肝冷斎がフェミニストであるのは天下に知らぬ者がないほどなのですが、今日は本当の男らしさというのを見せてやるぜ。

と言われても、断るのが本当の「強さ」だ・・・が、こいつらにはありそうもない。
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清の末のころですが、
天津市中無頼少年、往往於博場索規例銭、諸博徒亦楽応之。
天津市中の無頼少年、往往、博場において規例銭を索め、諸博徒またこれに楽応せり。
港町・天津の町の不良の若い衆たちは、たいてい、バクチの席で博徒(いわゆるディーラー)から「会費」を集める。博徒たちも喜んでそれに応じている。
今では当たり前のようになっている風習だが、
然其始得也、頗不容易。
然るにその始めて得るや、頗る容易ならず。
しかし、その風習が開始されるまでは、たいへんな困難があったのである。
同時代人のわたしが言うのだから、間違いありません。
余寓天津時、日往来於博場。一日見有酔人昂然而至。上不衣、下不袴、止以尺布蔽下体。
余、天津に寓するの時、日に博場に往来す。一日、酔人の昂然として至る有るを見る。上に衣せず、下に袴せず、ただ尺布を以て下体を蔽うのみ。
わしは、天津に住んでいたころ、毎日バクチを打ちに行っていた。そんなある日、酔っぱらったやつが会場に、えらそうに入ってきた。そいつは上半身は何も着ていない。下半身もずぼんははいていなかった。ただ数十センチぐらいの布で股間を蔽っているだけである。
しらふでこれなら変態的であるが、すでに巻き上げられて無一文になり、酒をひっかけて気を大きくしてきたのであろう。男らしいぜ。
ところで、「バクチ場」といっていると反社会的に聞こえてしまいますが、そんな悪事をしているとは当事者たちは誰も思っていないので、以下、「IR会場」と言い換えます。
そいつは、
一入局中、便肆口嫚罵。博徒群起、各執白木棍痛打之。
局中に一入するに、すなわち口に肆ままに嫚罵す。博徒群起して、おのおの白木棍を執りてこれを痛打せり。
IR会場に入ってくるやいなや、好き放題にあちこちの人に絡んで、ばかにして罵りはじめた。博徒たちはみんな(会場を荒らされてはならないので)、木製の棍棒を手にしてそいつをぶん殴った。
然打者自打、罵者自罵、至体無完膚、気息僅属、猶喃喃罵不絶口。
然るに打者には自ずから打たせ、罵る者自ら罵り、体に完膚無く、気息僅かに属(つづ)くに至るも、なお喃喃として罵ること口に絶えず。
ところが、そいつは、殴ってくるやつには勝手に殴らせながら、勝手に人を罵りまくった。全身殴られて傷だらけになって、呼吸もほとんど途絶えがちになっても、なお「むにゃむにゃ」と罵り続けていたのだ。
於是群歎曰、好漢、好漢。
ここにおいて、群、歎じて曰く、「好漢なり、好漢なり」と。
こうなると、博徒たちは賛嘆して言った。「大したおとこだぜ、大したおとこだぜ」と。
以童便飲之、又以温水滌其血汚、負而帰之開局者之家。自此月有規例矣。
童を以てすなわち飲ませ、また温水を以てその血汚を滌い、負いて開局者の家に帰す。これより、月に規例有り。
給仕の童子を呼んでそいつに酒を飲ませ、また暖かいお湯で血流を洗ってやり、背負わせて主催者の家で手当てさせた。
この事件からあと、博徒たちは若い衆にIR会場での会費を払うようになったのである。
そのカネで変なやつに入らせないよう、取り締まらせたのである。
ところで、この人は強情を通して人びとに感銘を与え、新たな制度を始めさせたわけである。
斯人也、豈所謂北方之強者与。
この人や、あにいわゆる北方の強なる者ならんか。
この人は、(孔子がおっしゃった)いわゆる「北の地方の強者」ではなかろうか。
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清・兪樾「右台仙館筆記」巻三より。大したおとこだぜ。
ところで「北方の強者」とはなんでしょうか。
「中庸」第十章にいう、
子路問強。子曰、南方之強与、北方之強与。抑而強与。
子路、強を問う。子曰く、南方の強か、北方の強か、そもそも而(なんじ)の強か。
子路が、強さとは何かを問うた。先生(孔子)はおっしゃった、「南の地方でいう強さのことか、北の地方でいう強さのことか?、それとも、おまえの(目指すべき)強さのことか」
まず、
寛柔以教、不報無道、南方之強也。君子居之。
寛柔以て教え、無道にも報ぜざるは、南方の強なり。君子これに居る。
心広やかに柔軟さを以て人を教え諭し、道義の無いものにも報復をしない。(つまり、堪える。)これが南の地方でいう強さだ。立派なひとのやり方である。
紝金革、死而不厭、北方之強也。而強者居之。
金革を紝(じん)し、死して厭わざるは、北方の強まり。而して強者これに居る。
金属や皮革の武器や防具を身に着けて、死ぬことも避けようとしない。これが北の地方でいう強さだ。他人に勝る能力を持ったひとのやり方である。
さて、そこで、おまえが求めるべき強さについて、だが、
故君子和而不流、強哉矯。中立而不倚。強哉矯。国有道不変塞焉、強哉矯。国無道至死不変、強哉矯。
故に君子は和して流れず、強なるかな、矯なり。
中立して倚らず、強なるかな、矯なり。
国に道有るも塞を変ぜず、強なるかな、矯なり。
国に道無ければ死に至るも変ぜず、強なるかな、矯なり。
原始孔子教団らしく、美しい詩的表現で説教してきました。朱子の「中庸章句」によれば、「矯」は「強之貌」(強いようす)とのこと。
というわけで、よき人は、和やかだが権力や世俗に流されはしない。強いではないか、強そうだ。
中庸の立場を取って一方にかたよらない。強いではないか、強そうだ。
国に正しい道義のあるときでも、無理に出世しようとしない。強いではないか、強そうだ。
国に正しい道義が無ければ、死ぬまで抵抗して、その立場を変じることはない。強いではないか、強そうだ。
わかりましたか?
朱子曰く、
此四者、汝之所当強也。
この四者は、汝のまさに強とすべきところなり。
この四つの「強さ」が、おまえたちの目指すべき「強さ」である。
と。
「耐えて勝つ」という南方の強さの方に近いようです。いいことばではございませんか。
「仙館筆記」と「中庸」と、合わせて二回分書いてしまいました。まあでも、明日からもう会社行かないからちょうどいいや。やっと会社に行かなくてよくなりました。それでは今夜はこのへんで・・・。
「今日は重陽の節句だが、その話はないのか?」
と問われましたが、わたしども旧暦なんで何のことやら。