9月9日 菊の季節ですから寒くなりましたなあ

好漢好漢(好漢なり、好漢なり)(「右台仙館筆記」)

肝冷斎がフェミニストであるのは天下に知らぬ者がないほどなのですが、今日は本当の男らしさというのを見せてやるぜ。

と言われても、断るのが本当の「強さ」だ・・・が、こいつらにはありそうもない。

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清の末のころですが、

天津市中無頼少年、往往於博場索規例銭、諸博徒亦楽応之。

今では当たり前のようになっている風習だが、

然其始得也、頗不容易。

同時代人のわたしが言うのだから、間違いありません。

余寓天津時、日往来於博場。一日見有酔人昂然而至。上不衣、下不袴、止以尺布蔽下体。

しらふでこれなら変態的であるが、すでに巻き上げられて無一文になり、酒をひっかけて気を大きくしてきたのであろう。男らしいぜ。
ところで、「バクチ場」といっていると反社会的に聞こえてしまいますが、そんな悪事をしているとは当事者たちは誰も思っていないので、以下、「IR会場」と言い換えます。

そいつは、

一入局中、便肆口嫚罵。博徒群起、各執白木棍痛打之。

然打者自打、罵者自罵、至体無完膚、気息僅属、猶喃喃罵不絶口。

於是群歎曰、好漢、好漢。

以童便飲之、又以温水滌其血汚、負而帰之開局者之家。自此月有規例矣。

そのカネで変なやつに入らせないよう、取り締まらせたのである。
ところで、この人は強情を通して人びとに感銘を与え、新たな制度を始めさせたわけである。

斯人也、豈所謂北方之強者与。

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清・兪樾「右台仙館筆記」巻三より。大したおとこだぜ。

ところで「北方の強者」とはなんでしょうか。

「中庸」第十章にいう、

子路問強。子曰、南方之強与、北方之強与。抑而強与。

まず、

寛柔以教、不報無道、南方之強也。君子居之。

紝金革、死而不厭、北方之強也。而強者居之。

さて、そこで、おまえが求めるべき強さについて、だが、

故君子和而不流、強哉矯。中立而不倚。強哉矯。国有道不変塞焉、強哉矯。国無道至死不変、強哉矯。

原始孔子教団らしく、美しい詩的表現で説教してきました。朱子の「中庸章句」によれば、「矯」は「強之貌」(強いようす)とのこと。

わかりましたか?

朱子曰く、

此四者、汝之所当強也。

と。

「耐えて勝つ」という南方の強さの方に近いようです。いいことばではございませんか。

「仙館筆記」と「中庸」と、合わせて二回分書いてしまいました。まあでも、明日からもう会社行かないからちょうどいいや。やっと会社に行かなくてよくなりました。それでは今夜はこのへんで・・・。

「今日は重陽の節句だが、その話はないのか?」
と問われましたが、わたしども旧暦なんで何のことやら。

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