如冠玉耳(冠玉の如きのみ)(「史記」)
かんたまではなくかんぎょくです。

野球シーズンも寒くなってまいりました。
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「史記」陳丞相世家にいう、秦を滅ぼした後に楚と漢が争い、まだ漢の勝利が見えないころのことですが、漢王・劉邦に対して、
絳王、灌嬰等咸讒陳平曰、平雖美丈夫如冠玉耳。其中未必有。
絳王、灌嬰等、みな陳平を讒して曰く、「平は美丈夫なりといえども、冠玉なるのみ。その中いまだ必ずしも有ならず」と。
劉邦の側近である絳王・周勃や灌嬰らがやってきて、みなそろって新参の陳平を讒言して言った。
「陳平は見た目はいい男ですが、あれは「冠の玉」にすぎません。冠につける玉は中が空っぽです。
あの男は、家に居る時は兄嫁と密通し、それがバレて郷里に居られなくて楚に逃げた。楚でいろんな献策をしたが、何一つうまくいかず、楚に居られなくなって、我が漢に逃げてきた。あの男は、軍師をしておりますが、諸将から賄賂を取っている。多く賄賂した者にはよい持ち場を与え、賄賂の少なかった者には危険で手柄の見込めない持ち場を与える。
平反覆乱臣也。
平は反覆の乱臣なり。
陳平はころころと立場を変える裏切者です」
「ああ、そうか」
と、漢王・劉邦は陳平を推薦した魏無知を呼び出して、責めた。
魏無知は嘆息して、言った、
臣所言者能也。陛下所問者行也。今有尾生孝己之行而無益於勝負之数、陛下何用之乎。
臣の言うところは能なり。陛下の問うところは行なり。今、尾生・孝己の行有るも、勝負の数に益無くんば、陛下何ぞこれを用いんや。
「わしが彼を推薦したのは、その能力のせいです。陛下が問題視していることは、その倫理行動についてです。この時代に、尾生や孝己のような倫理的行動があったとしても、勝負の役に立たないのであれば、陛下はそんな者をお使いになりますか?」
「尾生」は戦国の時代の伝説的な人で、何をしたかといいますと、女性と橋の下で逢引することを約束したが、女性は来ず、豪雨になって川が増水してきた。人びとが危険を説いたが。尾生は女性との約束の場を離れることなく、最後は橋柱を抱いて水死した。古来、要らぬ忠義建てをして身を破滅に陥らせた例として引かれる。
「孝己」は超古代、殷の武丁の息子・祖己(そき)のことだとされています。
「史記」殷本紀に云う、武丁がご先祖のお祀りをしたところ、
明日有飛雉、登鼎耳而呴。武丁懼。祖己曰、王勿憂。先修政事。
明日、飛雉有りて、鼎の耳の登りて呴(な)けり。武丁懼る。祖己曰く、王、憂うるなかれ。まず政事を修めよ。
翌日、キジが飛んできて、お祀りで使ったナベの把手に止まって、「あほー」と鳴いた。武丁はよからぬ報せではないかと恐れおののいたが、祖己は言った、
「王、御心配されますな。それよりもまず、実際の政治を整えましょう」
と。
などと、父の為政を輔佐した人で、武丁の死後、
祖己嘉武丁之以祥雉為徳、立其廟為高宗。
祖己、武丁の祥雉を以て徳と為し、その廟を立てて「高宗」と為す。
祖己は、父の武丁が(上記の)キジの報せを起点として良い政治を行ったことを称賛されるべきであったとして、その「おたまや」を建てて、「国を復活させた王さま」として祀った。
そうで、親を支え、その死後も敬愛し続けたことから、「孝行息子の祖己」→「孝己」と称せらる。
閑話休題―――――。
魏無知の言葉が終わると、
「ああ、そうか」
と、劉邦は、ひきつづき陳平を謀士として用い続けたのであった。
・・・と、漢の高祖の性格とその周辺の人物像が活き活きと描かれております。特に、
尾生・孝己の行有るも、勝負の数に益無くんば、陛下何ぞこれを用いんや。
この時代に、尾生や孝己のような倫理的行動があったとしても、勝負の役に立たないのであれば、陛下はそんな者をお使いになりますか?
は、「人柄より能力」「マジメなやつより型破り」という企業の人材登用方針を「いいですなあ」「さすがですなあ」と褒めあう時に使われる言葉なので、要チェック。ゴルフ場で社長同士の会話に出てきたりするかも知れませんので、お付きの者は覚えておかないといけない可能性がわずかにある程度の言葉です。
ところが、高祖の死後、呂太后の専制で漢王朝が呂氏に乗っ取られようとしたときにクーデタによりそれを防いだのが、まさにこの陳平、周勃、灌嬰だったというのも大変興味深い・・・のですが、今回の興味は人間関係ではなく、
「冠の玉」
についてです。
「史記」顔師古注にいう、
飾冠以玉、光雖外見、中非所有。
冠を飾るに玉を以てす、光、外に見(あら)わるといえども、中、有するところにあらず。
玉によって冠を飾ると、玉の光が外部からはよく見えるであろう。だが、その中は詰まっていないのだ。
「南史」鮑泉伝にいう、
帝責泉亦曰、面如冠玉、還如木偶。
帝、泉を責めてまた曰く、「面は冠玉の如きも、還って木偶のごとし」と。
梁の武帝は、鮑泉を責めて言った、「おぬしは、面貌は冠の玉のように輝いているが、実際は木偶人形のようなボケナスではないか」と。
近人多以此二字為美称、若検本書示之、恐非所喜矣。
近人多くこの二字を以て美称と為すも、もし本書を検してこれを示さば、恐るらくは喜ぶところに非ざるなり。
最近のやつらは、「冠の玉」という二文字を誉め言葉と考えているようだが、もしそう呼ばれた後に、上の二つの書物(「史記」陳丞相伝と「南史」鮑泉伝)を探して来て見せてやれば、喜ぶべきことではないであろう。
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清・梁章矩「浪迹叢談」三談巻三より。最近のやつらはダメだな、と思いましたが、梁章矩が嘉慶から道光にかけての人なので、もう200年ぐらい前のやつらのことでした。最近のやつらは、よくなっているのかも?
ちなみに、わたしの「観タマ記」は「かんぎょく」ではありません。みなさんこそ、冠玉のように光り輝いておられますなあ。