鴿旺家隆(鴿旺(さか)んなれば家隆(さか)んなり)(「巾箱説巻」)
無制限に食べさせていると、どんどん肥って危険である。

「ごくぶつしのやつらと一緒にしてはいけないでコケ」「ピヨる」
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清の時代のことでございますが、
世之耽於禽鳥者、不必豪富之室、即中人之家、亦競以畜鴿為事。
世の禽鳥に耽くる者は、必ずしも豪富之室ならず、即ち中人の家、また競いて以て鴿を畜(たく)わえて事と為せり。
世間の「鳥飼育」に血道をあげている人を見ると、必ずしも豪族や富貴の家ではなく、中程度の人もまた、競うようにハトをたくさん飼うのを義務のようにしているのである。
有鴿旺家隆、鴿衰家窮之語。
鴿さかんなれば家隆(さか)ん、鴿衰うれば家窮まる、の語有り。
そこで、「ハトが活き活きしていれば、その家は上向き、ハトが衰えてくれば、その家も貧窮す」という詞ができている。
今、東境至造為楼以居之。名曰鴿楼。
今、東境、楼を為(つく)りて以てこれに居るに至る。名づけて「鴿楼」と曰えり。
現代となっては、東の海辺の浙江・福建あたりでは、たかどのを造ってここでハトを住まわせる者さえ出現している。この塔の名を「鴿楼」という。
下而啄食、則千百為群。
下りて食を啄み、すなわち千百群れを為す。
一階に下りてきてエサを食うのだが、数千数百羽の群となって棲息するのである。
至秋則養鵪鶉、為闘以博之。
秋に至ればすなわち鵪鶉を養い、闘を為して以てこれに博す。
秋になると今度はウズラを飼養する。ウズラは闘争をさせて、賭けの材料にするのだ。
ハトとウズラで二期作になっているようです。
即万銭易一鶉、弗恡。貯以豔錦嚢、佩於身、食則魚子粟。
即ち万銭一鶉に易(う)も悕(おし)まず。貯うるに豔錦の嚢を以てして身に佩し、食らうはすなわち魚子・粟なり。
その場で一万銭を出して一羽のウズラに代えてしまっても惜しまない。ウズラは艶やかな錦製の袋に入れて飼い、この袋は昼間はそれぞれのウズラの身につけてある。エサにするのは魚のタマゴや穀物(粟)である。
計二鳥歳食之糧、家増五人、十人、二十人不等。
二鳥の歳食の糧を計るに、家に五人・十人・二十人増えるも等しからず。
ハトとウズラ、二種の鳥の年間の食糧を計ってみると、あと五人、十人、二十人を家食させても問題無いほどの量なのだ。
あまりエサの量が多いので、あるとき、
脱有閭里宗党之閒一人貧匱者、過其家飯二三日、則急駆之已。
閭里・宗党の間に有るを脱せし一人の貧匱なる者、その家を過ぎりて飯すること二三日、すなわち急にこれを駆するのみ。
村里からも一族からも脱落した貧しい人が、鳥を飼う人の家に潜り込んで、鳥のエサを食っていたことがあったが、二三日経過してやっと判明し、慌てて追い出したことがあった。
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清・金埴「巾箱説巻」より。確かに鳥類は放っておくとすごい量のエサを食いますが、二十人分以上になるとは。ブロイラーみたいになっちゃうよ。おれのように。