9月18日 仮病も時には必要では

如不能言(言う能わざるが如し)(「宋名臣言行録」)

わたしも、何も言えず、「言いたいことがあればはっきり言え!」とよく怒られたものですが、なんとかまだ生き延びています。月曜日は「体調悪いんで」という電話はよく入れましたが、コロナ流行後はこのフレーズは使えない。

呪いコワいときに仮病はまずい。表に出られなくなってもっと呪いがコワくなるぞ。

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北宋建国のころのことでございますが、太祖・趙匡胤は、腹心の趙普と江南攻略のことを議して言う、

平蜀多殺人、吾今思之猶耿耿、不可用也。

「耿耿」は「明るく輝く様子」と「心が安らがない、不安である」の両義があります。「明るく輝く」はおかしいので、後者です。

趙普はそこで曹彬を薦めた。

曹彬は江南攻略の総大将となって、南唐国の都である金陵(南京)に迫った。

攻金陵、垂克、忽称疾不視事。

現場の将軍たちは困った。この先どうするのか。どうするかを判断できる健康状態なのかもわからない。このままでは、軍の士気にも関わってくる。

諸将皆来問疾、彬曰、余之病、非薬石所瘉、唯須諸公共発誠心、自誓、以克城之日、不妄殺一人、則自瘉矣。

お医者さまで草津の湯でもなかったのです。

「はあ」(なんだ、仮病か)

みたいな感じで、

諸将許諾、共焚香為誓、明日稍瘉。

宋軍の紀律は徹底され、

及克金陵、城中皆安堵如故。

恐らく略奪の禁止は以前から発布されていて、曹彬の「お芝居」は、そのことを現場までもう一度徹底するための材料にさせる、ということに意味があったのでしょう。将軍たちは戻って将校たちに、
「大将軍の病気平癒のためだから兵士にも徹底しておくように」(笑)
と笑いながら?伝え、士官たちは兵卒を集めて
「うちの将軍は大将軍の前でこんなことを誓ってきたのだから、将軍に恥をかかせるな」
と怖い顔をして?指示する、「朝礼の題材」を作ったのです。

曹彬の適切な統率のおかげで、金陵は史上初めて、略奪を受けずに開城し、以降、大宋帝国の財源地帯となった。

曹彬はこの後、枢密使(軍関係の副宰相、参謀本部長)に至る。

与太祖密論天下、事無不合上意。而公堂会議、如不能言。

だから、

太祖益所器重。

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宋・朱晦庵編「本朝名臣言行録」より。みなさん、明日から平日です。きついと思いますが、なんとか出勤しましょう。しかし、会議では何も言わない方がいいみたいですよ。「おいらなんていなくても一緒でしょ、うっしっしー」みたいな気持ちでいきましょう。

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