9月17日 明治30年ごろの人です

偶然書之(偶然これを書す)(「譚嗣同全集」)

西へ西へと草木もなびく。浄土居よいか、住みよいか。しばらくは現世でもいいですけど。

浄土は寝て待て・・・でむにゃむにゃメー。

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清・光緒二十四年(1898)の戊戌変法に参加し、政変後に亡命せずに処刑されたので名高い譚嗣同の短い文章でも読んでみましょう。岩波文庫にもなっている「仁学」は激しい思想書ですが、その他の小文を読んでいると明治青年のよう「浪漫主義」がちらちら見えます。読んでて恥ずかしくなる人もいるかも。

〇偶書(たまたま書す)

多一事不如少一事、多一念不如少一念。生死如夢幻、天地尽虚空。

儒学者であり、洋学も学んでいますが、精神的には仏教に強く帰依しているんです。

平時勤学道、病時不怕死。

想到来生、則現在草草光陰無不可処之境、真無一事足労我之心思者。

―――今日、

偶然書此、実皆名言正理、不可不深信之。

次は、戊戌変法に参加するために郷里の湖南を離れる際、ヨメの李夫人に宛てた文。

〇「戊戌北上留別内子」(戊戌北上、内子に留別す)

戊戌四月初三日、余治装将出遊。憶与内子李君為婚在癸未四月初三日、恰一十五年。

ちなみに譚嗣同はこの時、数えで三十四歳なので、十五年前は十九歳でした。

頌述嘉徳、亦復歓然、不逮已生西方極楽世界。生生世世、同住蓮華、如比迦陵頻伽同命鳥、可以互賀矣。

「迦陵頻伽」(かりょうびんが)は西方浄土に住む人頭鳥体の、ニンゲン?「阿弥陀経」によれば「鳥」だそうです。「同命鳥」は同じ「阿弥陀経」に迦陵頻伽とともに浄土に住むとされる「共命鳥」(ぐみょうちょう)のことだと思われます。「共命鳥」は一体の鳥に頭が二つ、二つの頭が生命をともにする、というので「共命鳥」というのですが、同じモノから派生した伝説が古代ペルシアに入り、やがてヨーロッパに伝えられて「双頭の鷲」となった・・・という話を昔読んだ記憶がありますが、とんでも系かも知れません。二十世紀末にはそんな本ばかり読んでたからなあ。

閑話休題、

そうですか。

但願更求精進、自度度人、双修福慧。

詩を作ったので読んでください。

婆娑世界普賢劫、浄土生生此締縁。十五年来同学道、養親撫姪頼君賢。

「なんだよ、おまいさん、もう二度と戻ってこないみたいじゃないか」

と言われそうですね。

〇「題残雷琴銘」(残雷琴(雷が落ちて焼けた木から作られたという伝説の琴)に題するの銘)

どんな時期の文かわからないのですが、事をなそうとして破れた変革者の言葉だと思うとなかなか感じ入ります。

破天一声揮大斧、幹断柯折皮骨腐。縦作良材遇已苦。

遇已苦、嗚咽哀鳴莽終古。

ちなみに「莽」(もう)という字、「くさむら」「おおう」と訓じますが、もともとは草の中に「イヌ」がいる、兎狩り用のイヌを表す文字なんです。おもしろい?ですね。

〇死刑になるときの「臨終語」

有心殺賊、無力回天。死得其所、快哉快哉。 

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清・譚嗣同「全集」中「秋雨年華之館叢脞書」より。やたら長い書名ですが、「秋雨年華之館」が譚嗣同の建てた館名、「叢挫」(そうさ)は「細かくて大きな戦略がないこと」をいい、「いろんなこまごました詩文を集めた文集」の意味です。

「叢挫」の語は、「尚書」(書経)「皐陶謨」(皐陶(こうよう。人名です)のはかりごと)に出てきます。科挙試験にも出るので覚えておこう。舜帝が洪水対策に成功した禹を称賛する場面で、賢者の皐陶が歌をうたう、そのはるか古代の歌に曰く、

元首明哉、股肱良哉、庶事康哉。元首叢挫哉、股肱惰哉、万事堕哉。

・・・どこかの国の現代の政府や会社のことかな? 違うかな?

「秋雨年華之館叢脞書」は散逸していたのを、民国元年(1912)、ヨメさんの李夫人が再刊した。譚嗣同が亡くなってから15年後です。これにそのころは子どもだった甥っ子の譚伝賛が跋を加えていますが、その文末に付して言う、

嗚呼、人以書伝乎、書以人伝乎。一俟世之論定者。

と。命なるかな。

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