偶然書之(偶然これを書す)(「譚嗣同全集」)
西へ西へと草木もなびく。浄土居よいか、住みよいか。しばらくは現世でもいいですけど。

浄土は寝て待て・・・でむにゃむにゃメー。
・・・・・・・・・・・・・・・・
清・光緒二十四年(1898)の戊戌変法に参加し、政変後に亡命せずに処刑されたので名高い譚嗣同の短い文章でも読んでみましょう。岩波文庫にもなっている「仁学」は激しい思想書ですが、その他の小文を読んでいると明治青年のよう「浪漫主義」がちらちら見えます。読んでて恥ずかしくなる人もいるかも。
〇偶書(たまたま書す)
多一事不如少一事、多一念不如少一念。生死如夢幻、天地尽虚空。
一事を多くするは一事を少くなくするに如かず。一念を多くするは一念を少なくするに如かず。生死は夢幻の如く、天地は尽く虚空なり。
何かをやりはじめるよりも、何かを片づけることを。何かを考えはじめるよりも、考えることを減らしていこう。生きると死ぬは夢・まぼろしのようなこと、天も地もすべては実は虚空である。
儒学者であり、洋学も学んでいますが、精神的には仏教に強く帰依しているんです。
平時勤学道、病時不怕死。
平時は道を学ぶに勤しみ、病時は死を怕れず。
ふだんはこの世の在り方(あるいは仏教)を学ぶことに勤めているので、病気になっても死ぬことなんて何でもない。
想到来生、則現在草草光陰無不可処之境、真無一事足労我之心思者。
来生を想到すれば、すなわち現在草草の光陰も処るべからざるの境無く、真に一事の我の心思を労するに足るもの無し。
死んだあとのことを考えてみると、今現在のあっという間の日々も受け入れられない状況は一つも無いし、また、本当に自分の心を煩わさねばならない事も一つも無い。
―――今日、
偶然書此、実皆名言正理、不可不深信之。
偶然これを書す、実にみな名言正理、これを深く信ぜざるべからざるなり。
たまたま、以上のようなことを書きつけた。実に、みんな名言であり、正しい道理ではないですか。深く信用せざるを得ない言葉ばかりである。
次は、戊戌変法に参加するために郷里の湖南を離れる際、ヨメの李夫人に宛てた文。
〇「戊戌北上留別内子」(戊戌北上、内子に留別す)
戊戌四月初三日、余治装将出遊。憶与内子李君為婚在癸未四月初三日、恰一十五年。
戊戌四月初三日、余治装してまさに出游せんとす。憶うに、内子李君と癸未四月初三日に婚を為してより、あたかも一十五年なり。
戊戌の歳(1898)四月三日、わたしは旅支度を整えて、出かけようとしていた。ふと思うに、女房の李夫人と癸未(1883)四月三日に結婚してから、ちょうど十五年ではないですか。
ちなみに譚嗣同はこの時、数えで三十四歳なので、十五年前は十九歳でした。
頌述嘉徳、亦復歓然、不逮已生西方極楽世界。生生世世、同住蓮華、如比迦陵頻伽同命鳥、可以互賀矣。
頌して嘉徳を述ぶるにまたまた歓然たるも、已に西方極楽世界に生ずるに逮(およ)ばず。生生世世、同じく蓮華に住み、迦陵頻伽・同命鳥に比するが如く、以て互いに賀するべし。
「迦陵頻伽」(かりょうびんが)は西方浄土に住む人頭鳥体の、ニンゲン?「阿弥陀経」によれば「鳥」だそうです。「同命鳥」は同じ「阿弥陀経」に迦陵頻伽とともに浄土に住むとされる「共命鳥」(ぐみょうちょう)のことだと思われます。「共命鳥」は一体の鳥に頭が二つ、二つの頭が生命をともにする、というので「共命鳥」というのですが、同じモノから派生した伝説が古代ペルシアに入り、やがてヨーロッパに伝えられて「双頭の鷲」となった・・・という話を昔読んだ記憶がありますが、とんでも系かも知れません。二十世紀末にはそんな本ばかり読んでたからなあ。
閑話休題、
おまえとの結婚十五年のお祝いを言い、円満な生活を話し出せばよろこばしいことばかりなのだが、それでも西方極楽世界に生まれることに比べれば及ばない。何度生まれても生まれても、一緒に蓮華の上に住み、人頭鳥カラヴィンカや双頭鳥ジーヴァジーヴァカ(サンスクリットだと抹香臭くなくてかっこいいですね)のように、いつもお互いにおめでとう、と言い合っていたいね。
そうですか。
但願更求精進、自度度人、双修福慧。
ただ願わくは、さらに精進を求め、自ら度し人を度し、福・慧を双修せんことを。
(お別れに当たって)おまえに頼んでおきたい。さらに仏教の修業を進め、自分を救済し、他人を救済し、幸福と知恵、どちらも求めて行ってほしいのだ。
詩を作ったので読んでください。
婆娑世界普賢劫、浄土生生此締縁。十五年来同学道、養親撫姪頼君賢。
婆娑(ばしゃ)世界普賢劫、浄土生生してこの縁を締めん。十五年来、学道を同じくす、親を養い姪(てつ)を撫するは君の賢に頼る。
サバー世界(現世)では現在、普賢時代の最中だが、一緒に浄土に生まれ変わることで、おまえとの因縁を終わりにしよう。この十五年間、同じく仏教の教えを学んできた。これからは(わしの)両親を養い、わしの兄弟の子どもたち(甥っ子)の面倒を看るのは、おまえさんの優しさに依頼することになる。
「なんだよ、おまいさん、もう二度と戻ってこないみたいじゃないか」
と言われそうですね。
〇「題残雷琴銘」(残雷琴(雷が落ちて焼けた木から作られたという伝説の琴)に題するの銘)
どんな時期の文かわからないのですが、事をなそうとして破れた変革者の言葉だと思うとなかなか感じ入ります。
破天一声揮大斧、幹断柯折皮骨腐。縦作良材遇已苦。
破天の一声、大斧を揮い、幹断たれ柯(えだ)折れ皮骨腐る。たとい良材と作(な)るも已に苦に遇えり。
(かみなりさまは)天を破るような雷鳴と同時に、巨大な斧が振われ(たかのような雷撃が落ち)て、その木の幹は真っ二つ、枝は折れ、木の皮や骨(←木に骨なんかないよ、と現実的にならずに読んでください)は腐れ落ちてしまった。―――(その残りから誰かが良い材質を見出してくれて琴に作られたのだが、)良い材質として見いだされる前に、落雷という苦しみを味わってきたのだ。
遇已苦、嗚咽哀鳴莽終古。
已に苦に遇えば、嗚咽哀鳴、終古を莽(おお)わん。
すでに苦しみを味わっているので、この琴を鳴らせば、泣くが如くむせぶが如く、永遠に悲しみの音を奏でるだろう。
ちなみに「莽」(もう)という字、「くさむら」「おおう」と訓じますが、もともとは草の中に「イヌ」がいる、兎狩り用のイヌを表す文字なんです。おもしろい?ですね。
〇死刑になるときの「臨終語」
有心殺賊、無力回天。死得其所、快哉快哉。
賊を殺すの心有るも、天を回らすの力無し。死するにその所を得たり、快なるかな、快なるかな。
悪いやつらをやっつけようとしたのだが、大改革する力はありませんでした。
いい形で死ねるので、うれしいなあ、うれしいなあ。
・・・・・・・・・・・・・・
清・譚嗣同「全集」中「秋雨年華之館叢脞書」より。やたら長い書名ですが、「秋雨年華之館」が譚嗣同の建てた館名、「叢挫」(そうさ)は「細かくて大きな戦略がないこと」をいい、「いろんなこまごました詩文を集めた文集」の意味です。
「叢挫」の語は、「尚書」(書経)の「皐陶謨」(皐陶(こうよう。人名です)のはかりごと)に出てきます。科挙試験にも出るので覚えておこう。舜帝が洪水対策に成功した禹を称賛する場面で、賢者の皐陶が歌をうたう、そのはるか古代の歌に曰く、
元首明哉、股肱良哉、庶事康哉。元首叢挫哉、股肱惰哉、万事堕哉。
元首明なるや、股肱良なるや、庶事康なるかな。元首叢挫なるや、股肱堕なるや、万事堕せんかな。
おかしらさまが賢明で、手足の部下が優秀なら、どんなことでもうまいことできる。
おかしらさまが細かい人で、手足の部下が怠け者なら、どんなことでも崩壊するぞ。
・・・どこかの国の現代の政府や会社のことかな? 違うかな?
「秋雨年華之館叢脞書」は散逸していたのを、民国元年(1912)、ヨメさんの李夫人が再刊した。譚嗣同が亡くなってから15年後です。これにそのころは子どもだった甥っ子の譚伝賛が跋を加えていますが、その文末に付して言う、
嗚呼、人以書伝乎、書以人伝乎。一俟世之論定者。
嗚呼、人の書を以て伝わるか、書の人を以て伝わるか。一に世の論定者を俟たん。
ああ、人物はその著書の評価によって未来に伝えられるのだろうか。書物がその著者の評価によって未来に伝えられるのだろうか。いつか、どちらであるかを定めてくれる人があるだろう。
と。命なるかな。