8月9日 父は永遠に悲愴である(萩原朔太郎)

虎一足人(虎の一足、人なり)(「東軒述異記」)

人間であることと〇神ファンであることとは、両立するのであろうか。

ネコになることは簡単だがトラになるにはまず大人にならねばならない。

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清の時代、広西の山奥の村でのお話です。

ある村びと、

毎日早出晩帰、必携死猪羊鹿犬等物至家、以為常。

そんなある日、

其子択日成婚、須猪羊祀神。妻嘱其覓活者為佳。

そう言われて、村びとは

「ムリだ」

と難色を示した。

妻は以前から獲物はどこかから盗んできているのではないかと疑っていたので、

命子尾其後視之

「あい」

息子が後をつけていきますと、

至一山、見其父入巌洞中、少頃有虎咆哮而出。

息子は驚いて岩陰に隠れていたが、トラが見えなくなると、

徐入洞求父所在、但見一衣存焉。疑為虎食矣。

そうこうしているうちに、遠くからまたトラの吼える声が聞こえてきたので、息子は洞から逃げ出して付近の岩陰に隠れた。

幾、虎帰洞、而父復出。

「?」

息子はそこまで見届けると、大急ぎで走って家に帰り、母親に見たままを告げた。

「なんと。では、お父さんは・・・」

やがて村びとが家に帰ってくると、

其妻色変。

これを見て、村びとは、突然怒鳴り始めました。

「そうか、バレたか」

大言曰吾為汝等識破、今出不復返矣。

そう言って、

疾走出門、妻子牽衣留之、力挽其足、竟脱一襪而去。

後其子於山中遇一虎、一足人也。

そこで、息子は、

遂遍掲街市、云若有人穫虎一人足者勿送官、願以重価贖之。

当時、官憲の主導でトラが狩り立てられ、どんどんコロされていた(コロして役所に届けると、何かご褒美がもらえるらしい)という時代背景がわかりますね。

不数月、果得而葬之。

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清・東軒主人「述異記」上巻より。人間であることとトラとなることとは、両立しないみたいです。

昔荘周夢為胡蝶。栩栩然胡蝶也。自喩適志与、不知周也。

俄然覚、則蘧蘧然周也。

不知周之夢為胡蝶、胡蝶之夢為周与。

という「荘子」斉物論篇の名文をご参考に考えてみてくだされ。

さて、この人は、人がトラになっていたのだろうか、トラが人になっていたのだろうか。

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