虎一足人(虎の一足、人なり)(「東軒述異記」)
人間であることと〇神ファンであることとは、両立するのであろうか。

ネコになることは簡単だがトラになるにはまず大人にならねばならない。
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清の時代、広西の山奥の村でのお話です。
ある村びと、
毎日早出晩帰、必携死猪羊鹿犬等物至家、以為常。
毎日早出して晩帰し、必ず死したる猪・羊・鹿・犬等の物を携えて家に至り、以て常と為せり。
毎日早くから出かけて夕方に帰ってくる。その時には必ず、死んだイノシシ、ヒツジ、シカ、イヌなどの獲物を持って家に至る。これをもう何年も続けていた。
そんなある日、
其子択日成婚、須猪羊祀神。妻嘱其覓活者為佳。
その子、日を択びて成婚せんとし、猪・羊を須(もち)いて神を祀らんとす。妻、その活者を覓(もと)むるを佳と為すと嘱せり。
その息子が吉日を選んで結婚することになり、その際、イノシシとヒツジを犠牲にして神前で誓いの儀式を行うという。村びとの妻は、村びとに「生きたやつを捕まえてきてもらう方がありがたいんですけど」と言った。
そう言われて、村びとは
「ムリだ」
と難色を示した。
妻は以前から獲物はどこかから盗んできているのではないかと疑っていたので、
命子尾其後視之。
子に命じてその後を尾して視せしむ。
子どもに、後をつけてどうやっているか観察させた。
「あい」
息子が後をつけていきますと、
至一山、見其父入巌洞中、少頃有虎咆哮而出。
一山に至り、その父の巌洞中に入るを見るに、少頃にして虎の咆哮して出づる有り。
どこかの山に入って行き、やがて父は、とある岩穴に入り込んで行った。しばらくするとその穴から、トラが吼えながら出てきたのであった。
息子は驚いて岩陰に隠れていたが、トラが見えなくなると、
徐入洞求父所在、但見一衣存焉。疑為虎食矣。
徐むろに洞に入りて父の所在を求むるも、ただ一衣の存するを見るのみ。疑うらくは、虎の食するところと為るか、と。
そうっと岩穴に入って父がどこに行ったのか調べようとした。だが、穴の中には服が脱ぎ捨てられているだけで、どうもトラに食われてしまったようだ。
そうこうしているうちに、遠くからまたトラの吼える声が聞こえてきたので、息子は洞から逃げ出して付近の岩陰に隠れた。
未幾、虎帰洞、而父復出。
いまだ幾ばくならず、虎洞に帰り、父また出づ。
しばらくするとトラが岩穴に帰ってきた。トラが岩穴に入ってしばらくすると、父が何気なく、また出てきたのである。
「?」
息子はそこまで見届けると、大急ぎで走って家に帰り、母親に見たままを告げた。
「なんと。では、お父さんは・・・」
やがて村びとが家に帰ってくると、
其妻色変。
その妻、色変ず。
女房は、夫を怖ろしいものを見るかのように見た。
これを見て、村びとは、突然怒鳴り始めました。
「そうか、バレたか」
大言曰吾為汝等識破、今出不復返矣。
大言して曰く、吾、汝らが識破するところとなり、今出でて返らざらん。
すごいでかい声でしゃべった。
「おまえら、わしの正体を見破ったんじゃろう。今回出て行ったらもう二度と戻ってこんからな!」
そう言って、
疾走出門、妻子牽衣留之、力挽其足、竟脱一襪而去。
疾走門を出でんとし、妻子衣を牽きてこれを留め、その足を力挽するに、ついに一襪を脱して去れり。
門から走り出ていこうとしたので、女房と子どもは着物を引っ張って押しとどめようとした。特にその足を力いっぱい引っ張ったので、とうとう片っ方の靴下が脱げて、女房たちの手元に残った。
後其子於山中遇一虎、一足人也。
後、その子、山中において一虎に遇うに、一足は人なり。
しばらく後、息子が山の中で一頭のトラを見かけたが、そのトラの足のうち一本は、人間の足であった。
そこで、息子は、
遂遍掲街市、云若有人穫虎一人足者勿送官、願以重価贖之。
遂に街市に「もし人の、虎の一人足なる者を獲えたる者は、官に送る勿(な)かれ、願わくば重価を以てこれを贖わん」と偏掲す。
結果として「もし、一本の足が人間の足になっているトラを穫えた方は、役所に届けずに、わたしの方に連絡ください。高価にて買取りいたします」という掲示を町中に貼り付けたのである。
当時、官憲の主導でトラが狩り立てられ、どんどんコロされていた(コロして役所に届けると、何かご褒美がもらえるらしい)という時代背景がわかりますね。
不数月、果得而葬之。
数月ならずして、果たして得てこれを葬むる。
数か月も経たないうちに、その死骸を手に入れることができたので、これを手厚く葬ったのだった。
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清・東軒主人「述異記」上巻より。人間であることとトラとなることとは、両立しないみたいです。
昔荘周夢為胡蝶。栩栩然胡蝶也。自喩適志与、不知周也。
昔、荘周夢に胡蝶と為る。栩栩然(くくぜん)として胡蝶なり。自ら喩(たの)しみて志の適えるかな、周を知らず、と。
以前、わし荘周は夢の中でちょうちょうになったことがあった。ワクワクするほど楽しくて、ちょうちょうであった。自分では楽しくて、思い通りになり、荘周という人物など知らなかった。
俄然覚、則蘧蘧然周也。
俄然として覚むれば、すなわち蘧蘧然(きょきょぜん)として周なり。
にわかに目を覚ますと、あっという間に、荘周に戻っていた。
不知周之夢為胡蝶、胡蝶之夢為周与。
知らず、周の夢に胡蝶と為れるか、胡蝶の夢に周と為れるか、を。
あのとき、荘周という人間がちょうちょうになる夢を見ていたのだろうか。それとも今、ちょうちょうが荘周という人間になる夢を見ているのだろうか。わたしにはわからない。
という「荘子」斉物論篇の名文をご参考に考えてみてくだされ。
さて、この人は、人がトラになっていたのだろうか、トラが人になっていたのだろうか。