裹飯往食之(飯を裹(つつ)み、往きてこれを食らわしむ)(「荘子」)
暑くてアイスが主食になってしまい、炭水化物が副食なので、野菜などはあまり摂っていない、という日々が続いています。

おれたちカネの亡者は、利潤のためなら米騒動も起こすよ。
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大昔のことですが、
子輿与子桑友。
子輿と子桑、友たり。
子輿と子桑は、友だちであった。
霖雨十日、子輿曰子桑殆病矣。裹飯而往食之。
霖雨十日、子輿曰く、「子桑殆ど病まんかな」と。飯を裹みて往きてこれに食らわしむ。
長雨が十日も続いたので、子輿は思った、
「これでは働きにも行けないし、子桑はもう病み衰えてしまっているだろう」
そこで、ごはんを包んで子桑の家まで、これを食べさせに行った。
至子桑之門、則若歌若哭、鼓琴曰。
子桑の門に至るに、すなわち歌うがごとく、哭するがごとく、琴を鼓して曰えり。
子桑の家の門まで来てみたら、家の中からは、歌であろうか泣き声であろうか、琴をつま弾きながら声がする。
その歌に曰く、
父邪母邪、天乎人乎。
父か母か、天か人か。
―――おやじのせいであろうか、おふくろのせいであろうか、天のせいか、人のせいか。
有不任其声、而趨挙其詩焉。
その声に任(た)えざる有りて、趨(すみや)かにその詩を挙げたり。
その声は、もう(腹が減って)堪えられないようで、大急ぎでその歌だけを歌い終わろうとしていた。
(ぎりぎりだったようだな)
子輿入曰、子之歌詩、何故若是。
子輿入りて曰く、子の詩を歌う、何故ぞかくの若きか。
子輿は家に入って行って、飯を食わせながら訊いた。
「おまえは今、詩を歌っていたが、なぜそうしていたのか」
子桑は飯を頬張りながら言った、
吾思夫使我至此極者而弗得也。父母豈欲吾貧哉。天無私覆、地無私載。天地豈私貧我哉。
吾、かの我をしてこの極に至らしむる者を思えども得られざるなり。父母あに吾が貧を欲せんや。天に私の覆い無く、地に私の載無し。天地あに私に我を貧にせんや。
―――おれは、わしをこんな貧乏の極地に至らしめたやつはいったい誰かと考えたのだが、わからないのだ。おやじやおふくろがおれを貧乏にしようと思って産み育てたはずがない。また、天はえこひいきして人や物に蔽いかぶさっているわけではない。地はえこひいきして人や物を載せているわけでもない。天地がえこひいきしてわしを貧乏にしたわけもないのだ。
求其為之者而不得也。然而至此極者命也夫。
これを為す者を求むるも得ざるなり。然るにこの極に至るは、命なるかな。
―――こんな状況にしたやつが誰かを考えてもわからないのだ。それなのに、こんなひどいことになっているのは、運命というものなのであろうか。
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「荘子」大宗師篇より。犯人は資本家ですよ。おそらく。
さて、関東でも十日ほど暑い日が続き、肝冷斎はどんどん病み衰えていると心配いただいて、今日はフランス料理を食わせていただきました。ありがとうございます。体重は増えるがこれを食って増えるなら納得です。