予以千銭(予(あたう)るに千銭を以てす)(「右台仙館筆記」)
どんなに叩かれてもへこたれない精神の強者にならねばならん。

専守防衛で行くつもりなら、おれの石垣の方が石臼より強いぜ。(なお、彼のお兄さんは後藤又兵衛です)
・・・・・・・・・・・・・・
清も終わりの近いころのことですが、蘇州に某甲(要するに氏名不詳)という男がいた。
無頼悪少年也。屡与人闘殴、為人痛打而不悛改。人皆呼之曰石臼。以其耐打也。
無頼の悪少年なり。しばしば人と闘殴し、人に痛打さるるも悛改せず。人みなこれを呼びて「石臼」(せききゅう)と曰う。その打たるるに耐えるを以てなり。
半グレの悪い若者であった。何度も人と殴り合いのけんかをし、ずいぶん酷く殴られたのだが行動を改めようとしなかった。ひとびとは、彼のことを「いしうす野郎」と呼んでいたが、これは彼が殴られても殴られても「石臼」のように傷つかないから、である。
一日、飲於酒家、飲畢径出。
一日、酒家に飲み、飲み畢りて径出せんとす。
ある日、酒場で飲んで、飲み終わると、そのまま出て行こうとした。
「おい、お待ちなさいよ」
酒保索銭、甲曰、乃翁適乏杖頭資、俟諸異日可也。
酒保、銭を索むるに、甲曰く、「乃翁(だいおう)、たまたま杖頭資に乏し、諸を異日に俟てば可なり」と。
酒場のおやじが呼びとめて、酒代を求めた。すると、某は、
「じいさん、今日はたまたまカネが無えんだ。払いは別の日に取っといてもらいてえんだが」
と言った。
「杖頭資」というのは、晋の時代、竹林の七賢の一人・劉伶が、いつも出歩く時には杖の先に銭をぶらさげていて、酒屋を見つけるとその銭で酒を飲んだ。そこで「酒代」のことを「杖頭銭」といいます。その「資力」がねえんだ、と言うんですな。
「なんだ、おい」「おれたちのシマで、でけえ顔しやがって」「はじめから飲み逃げするつもりで来たのかよ」
肆中人悪其無状、群出詬罵、捽而殴之、如舂如揄、血流漂杵。
肆中の人、その無状を悪(にく)み、群出して詬罵し、捽(そつ)してこれを殴り、舂くが如く揄(からか)うが如くして、血流杵を漂わす。
店内にいたやつら、某の態度が悪いので腹を立て、みんなで出てきて某を罵り、ひっつかんで殴り、突っついたり引っ張ったりしてやっつけたので、血が流れて、「杵も漂う」ほどであった。
「血流、杵を漂わす」というのは、「尚書」武成篇に出てくるコトバです。周の武王が殷の紂王を征伐したとき、多くの人が殺されたので、その血が流れて杵を漂わせるほどであった、という。これを「孟子」が引用して、
―――仁者の武王が悪の紂王を討伐したので、紂王の周囲の人はみな武王に降伏し、武王もそれを許したはずだからそんなことになるはずがない。ことごとく書物に書いてあることを信じるのなら、書物なんか無い方がいいですよ。ウソもたくさんあるんですよ。
と評しているので有名です。
作者は、「杵」とか「舂く」とか「臼」の縁語を使っていますね。
ぼこぼこにされた某甲、
視之幾無生理、乃縦之去。
これを視るにほとんど生理無く、すなわちこれを縦(ほしいまま)に去らしむ。
その様子を見ると、もうどう考えても死んだも同然になっており、そこで逃げていくに任せた。
ところが、この某甲が、
越数日復至、則傷痕已癒、咆哮如故。
数日を越えてまた至るに、傷痕すでに癒え、咆哮すること故(もと)のごとし。
数日後にまたやってきた。あれだけ殴られたのに傷あとはもう治っており、何事も無かったかのように大声を出して騒いでいた。
「もう治っているのか」「おまけにまたでけえつらしてるぜ」
物理的にも精神的にも全く「へこんでない」んです。
群嘆曰、真石臼也。
群、嘆じて曰く、「真に石臼なり」と。
店の連中はため息まじりに「ほんとに「いしうす」だなあ」と言い合った。
そして、
予以千銭而去。
予(あた)うるに千銭を以て去れり。
みんな引き上げていくときにお金を出しあって、千銭(一万円ぐらい?)をくれてやったのである。
千銭もらえました。特技?があるといいことあるのカモ。
・・・・・・・・・・・・・・・・
清・兪樾「右台仙館筆記」巻三より。アナーキーな男たちの地下世界が覗けてドキドキワクワクしますね。おれだって精神面ではこいつより打たれ強いぜ、男と男の勝負をしたいもんだ、と思う人がいたら、ぜひ清末の蘇州に行って探してみてください。
ちなみに作者の曲園先生・兪樾は、このHPでも既に登場していただいています。清末の大学者で、日本から送られてくる漢詩の佳作を選んだ「東瀛詩選」の編集もしていた人です。「右台仙館」は彼の晩年の棲み処の名前で、乾隆時代の大学者・紀暁嵐の「閲微草堂筆記」に倣って、民間の怪奇な話やゴシップを集めて書きのこしてくれました。ありがとう。