8月26日 すげえ男がいたもんだぜ

予以千銭(予(あたう)るに千銭を以てす)(「右台仙館筆記」)

どんなに叩かれてもへこたれない精神の強者にならねばならん。

専守防衛で行くつもりなら、おれの石垣の方が石臼より強いぜ。(なお、彼のお兄さんは後藤又兵衛です)

・・・・・・・・・・・・・・

清も終わりの近いころのことですが、蘇州に某甲(要するに氏名不詳)という男がいた。

無頼悪少年也。屡与人闘殴、為人痛打而不悛改。人皆呼之曰石臼。以其耐打也。

一日、飲於酒家、飲畢径出。

「おい、お待ちなさいよ」

酒保索銭、甲曰、乃翁適乏杖頭資、俟諸異日可也。

「杖頭資」というのは、晋の時代、竹林の七賢の一人・劉伶が、いつも出歩く時には杖の先に銭をぶらさげていて、酒屋を見つけるとその銭で酒を飲んだ。そこで「酒代」のことを「杖頭銭」といいます。その「資力」がねえんだ、と言うんですな。

「なんだ、おい」「おれたちのシマで、でけえ顔しやがって」「はじめから飲み逃げするつもりで来たのかよ」

肆中人悪其無状、群出詬罵、捽而殴之、如舂如揄、血流漂杵。

「血流、杵を漂わす」というのは、「尚書」武成篇に出てくるコトバです。周の武王が殷の紂王を征伐したとき、多くの人が殺されたので、その血が流れて杵を漂わせるほどであった、という。これを「孟子」が引用して、

―――仁者の武王が悪の紂王を討伐したので、紂王の周囲の人はみな武王に降伏し、武王もそれを許したはずだからそんなことになるはずがない。ことごとく書物に書いてあることを信じるのなら、書物なんか無い方がいいですよ。ウソもたくさんあるんですよ。

と評しているので有名です。

作者は、「杵」とか「舂く」とか「臼」の縁語を使っていますね。

ぼこぼこにされた某甲、

視之幾無生理、乃縦之去。

ところが、この某甲が、

越数日復至、則傷痕已癒、咆哮如故。

「もう治っているのか」「おまけにまたでけえつらしてるぜ」
物理的にも精神的にも全く「へこんでない」んです。

群嘆曰、真石臼也。

そして、

予以千銭而去。

千銭もらえました。特技?があるといいことあるのカモ。

・・・・・・・・・・・・・・・・

清・兪樾「右台仙館筆記」巻三より。アナーキーな男たちの地下世界が覗けてドキドキワクワクしますね。おれだって精神面ではこいつより打たれ強いぜ、男と男の勝負をしたいもんだ、と思う人がいたら、ぜひ清末の蘇州に行って探してみてください。

ちなみに作者の曲園先生・兪樾は、このHPでも既に登場していただいています。清末の大学者で、日本から送られてくる漢詩の佳作を選んだ「東瀛詩選」の編集もしていた人です。「右台仙館」は彼の晩年の棲み処の名前で、乾隆時代の大学者・紀暁嵐の「閲微草堂筆記」に倣って、民間の怪奇な話やゴシップを集めて書きのこしてくれました。ありがとう。

ホームへ
日録目次へ