8月25日 自分もゴミだとガマンしてきたが

都忘塵世(すべて塵世を忘る)(「明語林」)

こんなゴミで出来た世の中に長くいても、いいことあるのでしょうか。

ボイジャーみたいに太陽系の外まで行っちゃえば?

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沈寿民、字・眉生は、安徽・寧国のひとである。

游金陵、年未弱冠。

南京司農(南京政府の農業担当責任者)であった鄭玄岳は、同郷の徐某から沈青年の書いた文章を見せてもらって、

嘖嘖欣賞。

便投刺相訪、折節定交。

ある時、

命其子留之書舎、子適他往。

そのいきさつを聴いて、

公怒笞之。

曰、沈生天下士、可同他客乎。

というのである。

・・・さて、若いころから名高かった沈寿民ですが、明末の宦官と俗吏たちの跋扈を見て、出仕しようとしなかった。南京から寧国に帰ると、郊外に引っ込んでしまい、

足迹不渉城市、垂四十年。

当事委曲納交、罕得見面。

ある役人が調べて、

迹其在僧刹、潜追躡及之。

「躡」(しょう)は「踏む」「あとをつける」。

帰ってきてから、人に語って曰く、

今年晤沈耕岩、前年捫黄山天都峰、都忘塵世。

二者吾任寧国大快事、亦生平大快事。

と。

ホームラン級だったのでしょう。

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清・呉粛公「明語林」巻十より。四十年ぐらいいなくなってた方がみなさんの評価高まりそうですよ。

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