都忘塵世(すべて塵世を忘る)(「明語林」)
こんなゴミで出来た世の中に長くいても、いいことあるのでしょうか。

ボイジャーみたいに太陽系の外まで行っちゃえば?
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沈寿民、字・眉生は、安徽・寧国のひとである。
游金陵、年未弱冠。
金陵に游ぶとき、年いまだ弱冠ならず。
南京に遊学に出たときは、まだ二十歳前であった。
南京司農(南京政府の農業担当責任者)であった鄭玄岳は、同郷の徐某から沈青年の書いた文章を見せてもらって、
嘖嘖欣賞。
嘖嘖(さくさく)として欣賞す。
口を極めてよろこびほめそやしていた。
便投刺相訪、折節定交。
すなわち刺を投じて相訪し、折節して交を定む。
その沈が来たというので、早速名刺を届けて互いに訪問しあい、地位を離れて付き合いを始めた。
ある時、
命其子留之書舎、子適他往。
その子に命じて書舎にこれを留めんとするに、子たまたま他往す。
自分の子どもに、(沈が来たら)彼を書斎に留めておくように言いおいたが、その子がたまたま外出していた(ところに沈が来て、行き違いになって帰ってしまった)ことがあった。
そのいきさつを聴いて、
公怒笞之。
公、怒りてこれを笞うつ。
鄭公は怒って、息子を笞でぼかぼか殴りつけた。
曰、沈生天下士、可同他客乎。
曰く、「沈生は天下の士なり、他客と同じうすべけんや」と。
「沈くんは天下の知識人だ。他のお客と同じだと思ってたんではないだろうな!」と怒鳴りつけた。
というのである。
・・・さて、若いころから名高かった沈寿民ですが、明末の宦官と俗吏たちの跋扈を見て、出仕しようとしなかった。南京から寧国に帰ると、郊外に引っ込んでしまい、
足迹不渉城市、垂四十年。
足迹の城市に渉(わた)らざること、四十年に垂(なんな)んとす。
足跡が町中に入って来ない(県庁所在地にやってこない)ことが、四十年近くになった。
当事委曲納交、罕得見面。
当事の委曲に納交するも、面を見るを得ることまれなり。
行政に当たるえらい役人が、いろいろ気を使って付き合いをしても、面会できることは滅多に無かった。
ある役人が調べて、
迹其在僧刹、潜追躡及之。
その僧刹に在るを迹(たど)り、潜かに追躡(ついしょう)してこれに及ぶ。
「躡」(しょう)は「踏む」「あとをつける」。
彼がとあるお寺に住んでいるらしいという事を突き止め、そっと後をつけてついに面会に成功した。
帰ってきてから、人に語って曰く、
今年晤沈耕岩、前年捫黄山天都峰、都忘塵世。
今年、沈耕岩に晤し、前年は黄山の天都峰を捫して、すべて塵世を忘る。
「今年は沈耕岩先生(と称していたようです)と面会した。昨年は安徽の聖なる名勝地・黄山の最高峰である天都峰(に登りその頂上)をつかんだ。どちらも、ゴミで出来たこの世のことを忘れることができる経験だった。
二者吾任寧国大快事、亦生平大快事。
二者は吾が寧国に任ぜらるの大快事、また生平の大快事なり。
この二つは、わしのこの寧国県での任期中の大ヒット事件であり、それだけでなく、わしの生涯中の大ヒット事件だ」
と。
ホームラン級だったのでしょう。
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清・呉粛公「明語林」巻十より。四十年ぐらいいなくなってた方がみなさんの評価高まりそうですよ。