8月24日 仕事やノルマのためなら嫌なことも

正合如是用(正にかくの如く用うるべし)(「茶余客話」)

利用できるものは何でも利用しなければ。

おれたちオニは心が荒廃しているから、イヤなお客は問答無用で頭かち割ってしまうよ!

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清の時代のことですが、同僚の潘稼堂は、「優伶」(いわゆる「俳優」)が大嫌いであった。

嘗請于当事禁其教演。官翰林、又陳奏請禁。

まためんどうなことをしようとするものです。

余謂是誠無益、禁之亦不必也。

「だが、彼らは何物をも生み出さないのに、養っておくのに高い費用がかかる。世の中のムダではないか。わしはそれが許せないのだ」

いやはや、これは何もわかっていないようだ。

東坡生平不耽女色、而亦与妓游、凡待過客、非其人則盛女妓糸竹之声、終日不輟。

したがって、彼の任地にその客が数日滞在するとして、

有数日不接一談、而過客私謂待己之厚。

これに対し、

至有佳客至、則屏妓銜杯、座談累夕。

東坡真解事。今之優伶、正合如是用。禁之奚為哉。

この「合」は「当」と同義、「まさに・・・すべし」と訓じて「当然」の意を表す助字。

「なるほど、そういう利用法があるか・・・」

一応理解はしてもらえたようである。

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清・阮葵生「茶余客話」巻十八より。「文化」「芸術」「野球」「格闘技」・・・その他、この世の「ムダの意義」を理解しない人に理解してもらうには、こういう言い方しておけばいいみたいですよ。

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