勤惰為之(勤惰これを為す)(「禅関策進」)
みなさんもどこかで言われてますよ。

やる気ないやつはしょうがないニャー。
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仏語阿難、弥勒発意、先我之前四十二劫。
仏、阿難に語るに、「弥勒の発意、我の前に先んじること四十二劫なり。
ブッダが、弟子のアーナンダに向かって言いましたことには、
「ミロクはわしより四十二劫も前に「悟りを得よう」と願いを起こしたんじゃよ。
「一劫」は長い長い時間の単位で、諸説ありますが、例えば、大きな岩があったとして、そこへ百年に一回天人がやってきて薄絹の袖で岩を撫でる。それによってこの岩が磨滅して無くなってしまうまでの時間が「一劫」である、と説かれます。
我於其後、乃発道意、以大精進、超越九劫、得於無上正真之道。
我はその後において、すなわち道意を発し、大いに精進すること九劫を超越するを以て、無上正真の道を得たり。
わしはその後でやっと「悟りを得よう」と願いを起こして、それから九劫の間、すごい必死でやって、(今や)この上無き真理の法を得道したのじゃ」
ミロクさまはおシャカさまの亡くなった後、56億7千万年後に悟りを開いて人々を教え導くとされておありますので、42+9=51劫+567千万年で悟りに至ることになり、オシャカは9劫で悟りに至ったのだ。
・・・と「弥勒菩薩所問本願経」というお経に書いてあります。
なるほどなあ。
評曰。
評して曰く。
わたしの感想以下のとおり。
釈迦以後進、而頓踰四十二劫之先輩。勤惰為之也。
釈迦は後進を以て、四十二劫の先輩を頓踰す。勤・惰これを為すなり。
おシャカは後輩のくせに、四十二劫もの先輩を飛び越えたのだ。これは、「まじめにやった」と「サボりながらやった」の違いのせいである。
貪著於名利、多遊族姓家。弥勒之所以先学而後成者坐此。
名利に貪著し、多く族姓の家に遊ぶ。弥勒の先学して後に成る所以は、ここに坐(よ)るなり。
名声や利益を貪り終着して、貴族や富豪(クシャトリアやバイシャ)の家にばかり行っていたのだ。ミロクが先に学び始めたのに、シャカよりおくれて悟りに至ることになった理由はこれなのである。
そうだったんですね。
則釈迦之棄名利、入山林、不親近国王大臣可知矣。識之哉。
則ち釈迦の名利を棄て、山林に入り、国王大臣に親近せざること知るべきなり。これを識れや。
一方、おシャカの方は名声や利益を棄てて林中に隠棲して、国王や大臣に親しく交わることは無かったことがよくわかる。このことをよく考えなさい。
国王や大臣に親しく交わるとマズいことになるようです。
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明・雲棲袾宏編「禅関策進」より。ミロクがそんな名声や利益、カネにうるさい人だったとは、ちょっとびっくりしました。しかしおシャカさまが言ってることだからなあ。信憑性高いなあ。
ミロクもサボってたんだから、後輩に負けてもしようがないですよ。今日もゆっくりやりましょう。