片雲掩大陽(片雲も大陽を掩う)(「牧民心鑑」)
直射日光もう止めてください! というぐらい暑いのですが、今日は太陽が雲に覆われていても暑い。

こんなに暑いとは怪しからん。太陽の自己責任じゃ。わしらは悪くないのじゃ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・
明の時代のことですが、
人有以物為礼、将敬於吾。雖其心誠、決不可納。苟聴納之心一啓、則賄誘之路必開。
人、物を以て礼と為す有るは、吾に敬を将(もち)うるなり。その心誠といえども、決して納るるべからず。いやしくも聴納の心一たび啓けば、すなわち賄誘の路必ず開く。
誰かがあいさつがてら手土産を持って来てくれたとする。それはわたしを大切にしようということである。だが、相手さまの心が誠実にそう思っておられたとしても、決して手土産はもらってはいけません。もしもいただきものを許容するという心がひとたびできると、賄賂や誘導に向かう道のりが必ず開かれてしまうことでしょう。
・・・でも、少しぐらいなら――
というキモチになるかも知れませんが、
涓滴之水成江河、寸燼之火成烈焔。
涓滴の水も江河を成し、寸燼の火も烈焔を成す。
数粒の水もやがて大きな川になる。一寸の燃えさしでもすぐに激しい炎になる。
ので、ダメ、ぜったい!です。
其来有不可遏者、蓋物欲雖小、能害天理之大、猶片雲雖少、能掩大陽之輝。
その来たるや遏むべからざるもの有り、蓋し物欲小といえどもよく天理の大を害すること、なお片雲の少なりといえども、よく大陽の輝きを掩うがごとし。
「贈り物は、断ったり押しとどめたりできませんよ」という人もいますが、けだし、物質上の欲望は小さなものでもよく天の理という大きなものをそこなうことができます。ひとひらの小さな雲は、どんなに小さくても、大いなる陽の物体=太陽の輝きを隠してしまうことができるのと同じですよ。
もう国民が信じてくれなくなるのです。
吁、何不恪守廉潔、一毫不以染於人、而使吾清風勁節、長行於天地之間耶。
吁(う)、何ぞ廉潔を恪守して一毫も以て人に染められず、吾が清風勁節をして長く天地の間に行わしめざる。
ああ、どうしてみなさん、清廉潔白さをつつしみ守り、一本の毛も人に染められて利用されることなく、いつまでも自分の清い風格・勁い節度を、天と地の間に働かせようと思わないのか。
実はみなさんもそう思ってますよね。
能如是、則非惟人人敬之、雖鬼神亦敬我矣。有官君子其宝之哉。
よくかくの如ければ、すなわち人人のこれを敬まうのみならず、鬼神といえどもまた我を敬せん。有官の君子、それこれを宝とせよ。
そのようにすることができたら、ひとびとから尊敬されるだけではなく、幽霊や精霊などもまた、わたしを尊敬してくれるでしょう。お役人のみなさま、どうぞその清廉潔白を宝としてくださいね。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
明・朱逢吉「牧民心鑑」巻下より。清廉潔白だと幽霊や精霊も尊敬してくれるそうです。拾ったものを食べたり賞味期限切れを食べたりして自分を汚さないようにしよう。
ついでに、
涓滴の水も江河を成し、寸燼の火も烈焔を成す。
これも覚えておきましょう。