自号民傭(自ら民傭と号す)(「郎潜紀聞」)
こんな人のこと、チャイナでももう覚えている人はほとんどいないでしょうね。

こんにちは、木星です。木星はチャイナでは「歳星」と呼ばれ、刑罰や穀物の稔りにも関わる、と非科学的にはされているよ。
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清・涼州冀城のひと石瑶臣は、アヘン戦争前後の江南各地で県令や府知事を務め、道光(1821~50)の循吏(よい役人)と称せられる。
江西嘗大饑、銭粟未弁、而饑民集西山者数万、斉声呼賑、巡撫署屋宇皆震。
江西嘗て大饑し、銭粟いまだ弁ぜず、饑民西山に集まる者数万、声を斉しくして賑を呼び、巡撫の署の屋宇みな震う。
江西地方で大飢饉が発生したことがあり、その影響で蘇州でも同じ重さの銭と粟が交換されるような物価高となって、餓えた人民たち数万人が西山に立て籠もり、声をそろえて救済を訴えたので、その声で省全体の治安や行政を掌る巡撫の役所の建物が震動するほどであった。
暴動寸前である。
満足の行くような救済策を発表してやればいいのですが、
大吏不知所為、或曰、急檄石令。
大吏為すところを知らず、或いは曰く、急ぎ石令を檄せよ、と。
権限ある部下たちはどうしていいかわからず右往左往するばかり。見かねた誰かが言った、
「早く石県令を呼び出せ」
と。
石は当時、蘇州の隣町の県令で、巡撫から見ると所管区域の役人に該当しますが、部下ではありませんし、江西全体や蘇州府には何の責任もない。
石至、而万衆皆迎伏跪拝、曰願聴処置。
石至るに、万衆みな迎伏・跪拝し、曰く、「願わくば処置を聴(ゆる)せ」と。
石がやってくると、何万人という人民たちは全員お辞儀をし、土下座して、言った、
「どうぞなんとかお仕置きください」
と。
石県令は言った、
「わかった」
それだけで人民たちは静まった。
是賑也得緩而無変。
この賑や、緩を得て変無し。
おかげで救済策はあまり大きなものではなかったが、特段の事変は起こらなかったのである。
石瑶臣はあるとき、書幅に署名を求められてこう言った。
吏而良、民父母也。其不良、則民賊也。父母吾不能、民賊吾不敢。吾其為民傭者乎。
吏にして良なれば民の父母なり。それ良ならずんば、すなわち民の賊なり。父母は吾能わず、民賊は吾敢えてせず。吾はそれ、民の傭者たらんか。
「傭者」は雇用されている者。賃金労働者です。
―――良い役人は、人民にとっての父や母である。役人であって良くない者は、人民の賊である。父や母にはなれそうにもないが、人民の賊にはなるもんか。わしは人民の雇われ労働者というところではなかろうか。
故自号曰民傭。
故に自ら号して曰う、「民傭」と。
―――そこで、わたしは自分で署名するときには「民の雇われ」と書くことにしている。
と。
彼の自称はともかく、
迹此二端、亦不忝神君慈母之称已。
この二端を迹(たず)ぬれば、また神君・慈母の称も忝(かたじけ)なしとせざるのみ。
この二つのエピソードを聴くだけで、「神のような支配者」「やさしい人民の母」という称号も受け取っておかしくない人物であった、と知れよう。
いいこと・いいひとは忘れやすいから、もう覚えてませんよね。
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清。陳康祺「郎潜紀聞」四集より。「神君」はともかく「慈母」の称号が得られるとはトランスジェンダーです。高評価です。現代的には。