8月14日 いやなことは覚えていたりする

自号民傭(自ら民傭と号す)(「郎潜紀聞」)

こんな人のこと、チャイナでももう覚えている人はほとんどいないでしょうね。

こんにちは、木星です。木星はチャイナでは「歳星」と呼ばれ、刑罰や穀物の稔りにも関わる、と非科学的にはされているよ。

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清・涼州冀城のひと石瑶臣は、アヘン戦争前後の江南各地で県令や府知事を務め、道光(1821~50)の循吏(よい役人)と称せられる。

江西嘗大饑、銭粟未弁、而饑民集西山者数万、斉声呼賑、巡撫署屋宇皆震。

暴動寸前である。

満足の行くような救済策を発表してやればいいのですが、

大吏不知所為、或曰、急檄石令。

と。

石は当時、蘇州の隣町の県令で、巡撫から見ると所管区域の役人に該当しますが、部下ではありませんし、江西全体や蘇州府には何の責任もない。

石至、而万衆皆迎伏跪拝、曰願聴処置。

石県令は言った、

「わかった」

それだけで人民たちは静まった。

是賑也得緩而無変。

石瑶臣はあるとき、書幅に署名を求められてこう言った。

吏而良、民父母也。其不良、則民賊也。父母吾不能、民賊吾不敢。吾其為民傭者乎。

「傭者」は雇用されている者。賃金労働者です。

故自号曰民傭。

と。

彼の自称はともかく、

迹此二端、亦不忝神君慈母之称已。

いいこと・いいひとは忘れやすいから、もう覚えてませんよね。

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清。陳康祺「郎潜紀聞」四集より。「神君」はともかく「慈母」の称号が得られるとはトランスジェンダーです。高評価です。現代的には。

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