毀方瓦合(方を毀(こぼ)ちて瓦合せよ)(「宋名臣言行録」)
今日は「山の日」です。へー、今では祝日になってるんだ。祝日でヒマな若い人も多いでしょうから、今日は若い人のためになる話でもしてみましょう。
・・・実は、最近スポンサーから、「若いビジネスパーソンがもっと安く働いてわれわれを儲けさせてくれるように「ためになる話」をしてくれないと困るではないか。それが漢文の使命だろう」と叱られております。そこで、今日は表面上はみなさんのためになるようなお話、だが実際には経済界の方が喜んでくれるようなお話をしましょう・・・と思うのだが・・・。

縄文土器以来の「ものづくり」大国もいまや・・・。
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宋の時代、宰相として「慶暦新政」といわれる改革運動の先頭に立った杜衍さまの門弟が、県令になった。
その人が赴任前に杜衍のところに挨拶に行くと、衍は言った、
子之才器、一県令不足施、然切当韜晦、無露圭角、毀方瓦合、求合於中、可也。不然、無益於事、徒取禍爾。
子の才器は一県令には施すに足らず、然れども切に韜晦して、圭角を露わさず、方を毀ちて瓦合し、中に合を求めて可なり。然らざれば、事において益無く、いたずらに禍いを取るのみならん。
「おまえさんの才能や器量は、ただの県令の職務だけでは役不足であろう。しかし、絶対に自分の才能を隠して、飛び出す角を見せてはならんぞ。方(ただ)しいものを壊して、粘土のようにくっついて、平均的なところでまわりと折り合うようにして、うまいことやってくれ。そうしないと、仕事がうまくいかないだけでなく、要らないわざわいをひっかぶることになるからな」
「はあ」
弟子は腑に落ちないように言った、
公、平生為直亮忠信、取重天下。今反誨某以此、何也。
公、平生直亮にして忠信たりて天下に重きを取る。今、反って某に誨(おし)うるにこれを以てするは、何ぞや。
「先生は、普段、「正直で誠実、まごころあふれて信頼できる」ひとだとして天下から重きを置かれておられますよね。ところが、いまのお話ですと、わたしへの教えとして、「正直にまっすぐにしてはいけない」とおっしゃるのは、何故ですか」
杜衍は言った、
衍歴任多、歴年久。上為帝王所知、次為朝野所信、故得以申其志。今子為県令、巻舒休戚、繋之長吏。
衍は歴任多く、歴年久し。上は帝王の知るところと為り、次には朝野の信ずるところと為り、故に以てその志を申(の)ばすを得たり。今、子は県令たり、休戚を巻舒するも、これを長吏に繋(か)く。
「この杜衍はいろんな仕事を経験し、長い間官職にあって、上は皇帝陛下にお知りいただき、その次は朝廷や世間からも信用してもらえるようになっている。だから、自分のしようと思うことをすることができるのじゃ。だが、おまえさんは今度県令になったばかり、休(こころのどか)になったり戚(うれい悲しむ)になったり、くるくる巻いて閉じ込められるのも伸ばして用いられるのも、上司次第なのじゃ」
杜衍は、ずい、と「心して聴け」というかのように身を乗り出した。
夫良二千石者、固不易得。若不奉知、子烏得以申其志。
夫(か)の「良二千石」なる者は、もとより得やすからず。もし奉知されずんば、子いずくんぞ以てその志を申ばすを得んや。
「その地位(州太守)にいる人で立派なやつというのは、なかなか得やすいものではない。上司が認めて中央省庁に「こいつできますよ」と報告してくれなかったら、おまえさんはどうやって自分のしようとすることをしていくことができるんであろうか」
漢の時代の太守の給与は年間二千石だったそうで、良質な地方太守のことを「良二千石」といい、そのような人材はなかなか得られない、と言われたのだそうです。
予所以欲子毀方瓦合、求合於中也。
予の子に「方を毀ちて瓦合し、中に合するを求」むるを欲する所以なり。
「以上が、おまえさんに、「方(ただ)しいものを壊して、粘土のようにくっついて、平均的なところでまわりと折り合うようにして」くれよ、と言った理由なんじゃ」
「なるほど・・・」
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宋・朱熹等編「五朝名臣言行録」より。ためになりましたか? でも、「合を中に求めよ」と言われても、「中」ってどこやろ、と若い人は混乱してしまいそうな気もしますね。そうすると、若いひとのためにならない話かも・・・。肝冷斎はいよいよスポンサーから支援を打ち切られるのでは・・・。
ご安心ください。実はスポンサーなんかいないので、ためになる話なんかしなくてもいいでした、自由思想家なんです。わはははー。
なお、本当に仕事の仕方で悩んだら、漢文や「プルターク英雄伝」読んで「なるほど」と頷いているよりも、岡本全勝さんの本で勉強するのが今のところ一番いいような気がします。それでもダメならハーバード経営大学院にでもどうぞ。
なおなお、このような立派な杜衍さまでも、新政を開始すると百日ほどで反対派に宰相の地位から引きずりおろされました。まことに現世の改革は青天に昇るよりも難きかな。
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休みでヒマなんで、ついでに、もう少しお話しましょう。
「毀方瓦合」は実は杜衍さまが言い出したコトバではありません。さすがは宋の賢宰相、そのいうところには典故がある。
「礼記」儒行篇に曰く、
春秋時代に、魯の哀公(在位前494~前468)が孔子に問うた。
敢問儒行。
敢えて儒の行を問う。
「お叱りになるかも知れませんが、無理にでもお訊ねします。儒者の行いとはどのようなものなのでしょうか」
すると、孔子は滔滔と数百言、儒者の行いについて述べたてはじめた。
あんまりしつこいので、最後は哀公が
終没吾世、不敢以儒為戯。
終に吾が世を没するまで、敢えて儒を以て戯れと為さず。
「もうわたしは死ぬまで、二度と儒者について生半可な気持ちで考えることはございません!!!!」
と泣きを入れて終わるのですが、その「儒者の行い」として、「金玉(「きんぎょく」と読んでください!)を宝とせず」とか「和を以て貴ぶ」とか「特立して独行する」とか「進めること難きも退くること易し」とか「殺すべくも辱むべからず」とか、有名なコトバがたくさん並んでいますが、その中に、
慕賢而容衆、毀方而瓦合。
賢を慕いて衆を容れ、方を毀ちて瓦合す。
賢者を敬愛するのだが、人民大衆(のような愚かなやつら)を許容し、方正になったものを壊して、瓦(土器)をつくるように周囲と和合する。
というのが出てきます。そういうのが儒者の行動の特徴の一つだ、というのです。
たいていの人が「ほーん」とあまり興味を示さず鼻毛を抜いたりしている中で、
「なんで突然「瓦」が出てくるんですか、ぽよよよーん」
と疑問を持つ人もいると思いますが、ご安心ください。これについては、元・陳澔の「礼記集説」に解説があります。
陶瓦之事、其初則円、剖而為四、其形則方。毀円以為方、合其方而復円、蓋于涵容之中、未嘗無分弁之意也。故曰其寛裕有如此者。
陶瓦の事たる、その初めはすなわち円、剖りて四と為せばその形すなわち方。円を毀ちて以て方と為し、その方を合してまた円となして、けだし、涵容の中においていまだつねに分弁の意なきにあらざるなり。故にその寛裕のかくの如きもの有るを曰う。
土器づくりについて考えると、最初は(粘土をこねて広げて)円ができるが、その四方を切り落とせば四角になる。円を破壊して四角が作れるわけだが、この四角い粘土をまたくっつけて(こねて広げると)またまた円ができる。このように柔軟にものが作り上げられていく中でも、四角とか円とかの形にしていこうという意志は働くわけである。このことから、儒者の行動が、寛大で余裕があ(り、柔軟で、しかしその都度目指すものははっきりしてい)ることを表現するのに、「方正になったものを壊して、土器をつくるように周囲と和合する」というのである。
そうなんです。
わかりましたか。ちょっとむつかしい? というか、若い人がこんなところまで読んでるはずないか・・・。