非卿莫定(卿にあらざれば定むる莫からん)(「涑水紀聞」)
いつも愚か者のようにニコニコしていよう!

川の向こうには何があるのだろうか。絶対こちらよりいいものがあるんだろうなあ。
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宋・真宗皇帝(在位997~1022)の御代のこと、皇族同士の間で訴訟があって、
争分財不均。
分財の均ならざるを争う。
要するに財産相続の不公平の争いであった。
皇帝の前に両者が呼び出され、御史台や開封府の担当者の前で、
自理于上前、更十余日不能断。
自ら上前に理するも、更に十余日にて断ずる能わず。
当事者同士それぞれ帝の前で陳述し、それから十余日間審理があったが、誰も裁きをつけられないでいた。
見かねて、宰相の張斉賢が帝に申し上げた。
是非台府所能決也。臣請自治之。
これ、台府のよく決するところにあらず。臣請う、自らこれを治めん。
「この案件は役人の非違を扱う御史台や、首都の民事裁判を所管する開封府の手に負えるものではなさそうです。越権のそしりはございますが、どうぞわたくしめに裁きを着けさせていただけませぬかな」
「頼むぞ」
上、許之。
上、これを許す。
帝は申し出をお許しになられたのである。
張斉賢は早速、宰相府に両当事者を呼び出した。
汝非以彼所分財多、汝所分少乎。
汝、彼の分ずるところの財多く、汝の分ずるところ少なきを以てするにあらざるや。
「御両所とも、相手方が受け取った財産が多すぎ、ご自分の受け取った分は少ない、ということでお訴えでございましたな」
両者とも、
然。
然り。
「そのとおりでござる」
と答えた。
そこで、張は、
即命各供状結実。
即ち各(おのお)の供状して結実するを命ず。
即座に、両者に対して、その言い分を文書にして、花押を押させた。
それを受け取ると、張は満足そうに言った。
「よし、これにて裁判は終結じゃ」
やおら座から立ち上がり、
乃召両吏趣徙其家、令甲家入乙舎、乙家入甲舎。
すなわち両吏を召してその家を徙(うつ)すを趣(うなが)し、甲家をして乙舎に入らしめ、乙家をして甲舎に入らしむ。
すぐに両家の執事を呼ぶと、お互いに引っ越しをするよう命じた。すなわち甲家の方は乙の屋敷に入り、乙家の方は甲の屋敷に入ることとさせたのである。
執事たちは、
「す、すぐに荷物類をまとめるとしましても一週間ほど・・・」
と驚いたが、張はのんびりと言った、
「荷物はそのままでよろしい。それぞれご家族と下僕を連れて、今晩中にお移りいただきたい」
そして、
貨財皆案堵如故、文書則交易之。
貨財みな案堵してもとの如く、文書は則ちこれを交易す。
家財道具はすべて据え置いてものままで、互いの財産目録文書を交換させた。
取り分の多いはずの相手方の動産・不動産がすべて手に入ったのだ。文句をいう筋合いは無いはず。
当事者たちの本心はともかく、
訟者乃止。
訟者すなわち止む。
訴えはそれで終結した。
上大悦曰、朕固知非卿莫能定也。
上大いに悦びて曰く、「朕もとより卿にあらざればよく定むる莫しと知れり」と。
帝は大いに喜ばれて、張に向かっておっしゃった。
「朕は、はじめから、おぬし以外の誰にも裁きはつけられまい、と思っておったんじゃ」
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宋・司馬光「涑水紀聞」巻七より。北宋の大賢者、温公・司馬君実の記録です。実際の仕事でも活かせるかも知れません。朝礼で部下にも教えてやってください。
競争が馬鹿らしくなってみんなニコニコしはじめるかも。