7月14日 かなり痛いやつです

拖腸血戦(拖腸血戦す)(「清通鑑」)①

暑いですが、こちらの体温を挙げれば涼しく感じられるはずだ。そこで体温を上げるべく、熱血の男たちのお話です。

これは痛いぞ。ぶー。

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清・康煕二十二年(1683)夏五月(新暦だとちょうど七月の半ば、いまごろの激熱のころです)、清の福建提督・施琅の率いる十数万の水軍は、澎湖島に攻め入った。台湾に盤踞する鄭氏政権を討滅すべく、台湾を直接攻撃せよという朝廷での議論があったのですが、施琅らは、まず澎湖島を攻めること、そうすれば鄭氏政権は自壊する可能性が高いと奏上し、康煕帝の同意を得たのである。

五月上旬からあちこちで小競り合いがあったのですが、同月十六日、施琅の率いる本隊が、澎湖島沖に突入、

藍理等七艦率先衝入敵陣、鄭将曾瑞、林陞迎戦。

藍理等の七艦、率先して敵陣に衝入し、鄭将・曾瑞、林陞迎戦す。

藍理らの七隻の艦隊が、先鋒となって敵艦隊に突入、鄭軍の名将、曾瑞と林陞がこれを迎え撃った。

激戦の最中、潮目が変わり、鄭軍の艦隊が清の先鋒艦隊を包囲、これを見た施琅は主力艦隊を率いて救援に向かったが、

流銃中目、仆倒。衆皆大驚。

流銃目に中り、仆倒す。衆みな大いに驚けり。

流れ弾が施琅の目を傷つけ、倒れてしまった。将兵はみな大に驚いた。

しかし、混乱が起こる前に、

藍理見状高呼、将軍勿憂、藍理在此。率艦復入敵陣。

藍理状を見て「将軍憂うるなかれ、藍理ここに在り」と高呼し、艦を率いてまた敵陣に入る。

藍理はその様子をみて、「将軍どの、御心配には及ばぬ、藍理がここにおりますでのう」と高く叫ぶと、自艦を再び敵艦隊に向けて突入させた。

「入らせるな」

鄭軍は藍理の艦に集中砲火を浴びせ、その間に応急手当を受けた施琅は立ち上がった。タマが掠めて片目を失明はしたが、眼窩には入らず致命傷ではない。

一方、藍理の方は、

旋中炮跌倒、腹破腸出。血染戦袍。

旋(ただち)に炮に中りて跌倒し、腹破れて腸出づ。血、戦袍を染む。

直後に飛んできた砲弾が直撃してよろめき倒れた。腹が破れて腸が飛び出し、軍服は血で真っ赤になっていた。

曾瑞大叫、藍理死矣。

曾瑞大いに叫びていう、「藍理死ねり」と。

敵将・曾瑞は大声で叫んだ、「見よ、藍理が死んだぞ!」

理聞声、扶其弟強起、怒吼曰、藍理在、曾瑞死矣。督将速戦。

理声を聞きて、その弟を扶して強起し、怒り吼えて曰く、「藍理在り、曾瑞死なん」と。将を督して速戦せしむ。

藍理はその声を聞くと、副官の弟に助け起こさせて、怒声に吼えていう、「藍理は生きている!死ぬのは曾瑞じゃ」と。そして部将らに命じて戦いを急がしめた。

理子弟解衣包裹傷口、理整甲起身、呼曰、今日諸君不可怯戦、誓与賊無生還。

理、子弟、解衣して傷口を包裹し、理甲を整えて身を起こし、呼びて曰く、「今日、諸君、怯戦すべからず、誓いて賊と生還するなかれ」と。

藍理の弟たちは軍服を脱がせて腹の傷口をぐるぐる巻きにして包み込んだ。理はかぶとをかぶり直すと、また立あがり、「皆の衆、今日、怯んではならんぞ。やつらかわしら、どちらも生き残るということはできないのじゃ!」と叫ぶ。

叫ぶたびに腸が飛び出し、それを弟や甥っ子たちが押さえ込んだ。

衆将感奮、林陞中三箭、鄭軍始乱。

衆将感奮し、林陞三箭に中りて、鄭軍始めて乱る。

部将たちは感激し興奮して戦い、敵の林陞に三本の矢が当たって、ここでさしも鄭軍にもようやく乱れが起こった。

これを見て施琅は主力艦隊を再度進行させ、藍理の艦隊を救出すると戦線を離脱。

「やつら、逃げるぞ」

鄭軍の司令部は追撃を画策したが、総大将の鄭国軒は首を縦に振らなかった。鄭軍にも追う余裕は無かったのだ。

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「清通鑑」巻二十二より。ああ、コワかった。我が国の首相も間もなく台湾でアレがアレすると言っております。こんなふうになるのかな。

さて、果たして、この戦い如何あいなりますやら。これより先は明日のお楽しみ。(予定稿としてセットしたのですが、果たしてうまくいきますや否や)

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