負債必還(債を負えば必ず還す)(「東軒筆録」)
富貴のひとでもおカネにはうるさいと聞きますが、富貴になっても借金返してるんですか。

わしもかなりコロしているからな・・・。
・・・・・・・・・・・・・・
北宋の王韶、字・子純は江西・徳安のひと、嘉佑二年(1057)に進士に及第、はじめは普通の文官でしたが、煕寧年間(1068~77)に最前線に赴任して西夏王国との戦いを指導、西夏側の攻戦をしのぎ、煕河の戦いに勝利して一気に数千里の地を奪回した名将である。
智略に富み、後に枢密副使(参謀本部次官)となって、
奇計、奇捷、奇賞(稀代の戦略を立て、稀代の大勝利を得、稀代の恩賞を受けた)
を以て「三奇副使」と称せられた。
という人なのですが、
在煕河、多殺伐。
煕河に在りて殺伐多し。
煕河の戦いの時には、ずいぶん多くのいのちを殺した。
晩年知洪州、学仏、事長老祖心。
晩年、洪州を知し、仏を学びて、長老祖心に事(つか)う。
晩年には、中央の参謀本部から外され、洪州の知事をしていたが、そのころホトケのことを学び、長老(禅師)の祖心さまにご教示いただいていた。
一日拝而問曰、昔未聞道、罪障固多、今聞道矣、罪障滅乎。
一日、拝して問いて曰く、「むかしいまだ道を聞かざるに罪障もとより多し、今道を聞きて罪障滅するか。
ある日、禅師を礼拝して質問させていただいた。
「以前は仏の教えを知らなんだのでずいぶん罪を作り申した。今では仏の教えを知ることができ、罪はなくなったと考えて・・・よろしいでしょうか?」
禅師は、答える代わりに逆に訊いた、
今有人貧、日負債、及貴而遇債主、其債償乎、否也。
今、人の貧しく、日に債を負える有りて、貴に及びて債主に遇うに、その債償わんか、否か。
「おまえさん、貧乏で毎日毎日借金して食っているような家があったとして、その主人がエラくなったあと(偶然によって)貸主と偶然出会ったとき、借金はかえさなければならないか、どうか」
王韶答えて曰く、
必還。
必還す。
「そりゃあ、債務は必ず返さないと・・・」
禅師曰く、
然則雖聞道矣、奈債主不相放耶。
然れば則ち道を聞くといえども、債主の相放せざるを奈せん。
「そうでありましたら、仏の教えを聞いたとしても、貸主が借金を棒引きにしてくれるはずがないでしょう」
「ぶう」
王韶怏然不悦、未幾、疽発於脳而卒。
王韶、怏々然として悦こばず、いまだ幾ばくならずして、疽、脳に発して死せり。
王韶はそれを聴いて、うらみっぽい顔つきで不機嫌そうであったが、その後、それほど時が経たぬうちに、アタマにできものができて、亡くなったのである。
・・・・・・・・・・・・・・
清・魏泰「東軒筆録」巻十五より。権力を持ち身分高い人でも借金は返さなければならないのだ。もみ消してもらえないみたいです。
明日も今日みたいに暑いのかな。