隔田施雨(田を隔てて雨を施す)(「漁洋夜譚」)
今日も九州は大雨だそうです。まだ予報までだ、とは思うのですが、そろそろ気象を売り買いすることも始まっているのかも知れません。なんでもカネの世の中でございますゆえ。

ウミウシくん、別名アメフラシ。いじめると墨を噴くので、それが雨のように見えるからだ、というのだが、ほんとうにひどくいじめると彼も海の精である、嵐やカミナリを喚ぶこともあるかも知れない。本当に時々だけかも知れないが。敬しまねばならない、敬しまねばならない。
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ところで、清の中頃、江陰に高という姓の道士がいた。
当時有名な方術師、髪の毛は伸びたままで洗わないので頭が爛れ、
潘爛頭(ただれアタマの潘さま)
と呼ばれた人(きたない、というだけで、肝冷斎一族とも友好関係にあったことがわかります)がいましたが、高道士は、彼から勅勒(ちょくろく)の術を学んだ。この術は、トルキスタンから伝わったもので、鬼神たちを自由に働かせ、天候を操ることができるのだ。
潘爛頭はこの術を人助けにだけ用いていたが、高道士は少し考えが違った。
榜其戸曰出買風雲雷雨。
その戸に榜して曰く、「風雲雷雨を出買せん」と。
門扉に看板を出した。
風・雲・雷・雨―――お売りします
と。
次のような利用法があります。
〇海舟有欲風者、得其符焚之、則片帆如駛、数百里可一日至。
海舟に風を欲する有る者は、その符を得てこれを焚けば、すなわち片帆駛るが如く、数百里も一日に至るべし。
海に出て貿易をしようとする者は、道士からお札を買い、必要な時にそのお札を焼けば、たちまち帆の片側だけに風が吹いて、飛び走るが如く、数百キロメートルも一日で到達することができる。
〇途人恐日熾、思雲作蓋、售以金則幢幢然覆之而行。
途人、日の熾なるを恐れ、雲の蓋を作すを思わば、金を以て售(か)えばすなわち幢幢然としてこれを覆いて行く。
旅人が、夏の太陽の焼けつくようなのを嫌がり、雲が傘になってくれればいいのにと思うなら、黄金にて雲を買うことができる。さすれば、買われた雲は、旗のようにその人の頭上を覆って目的地までついていく。
〇児童欲雷雨為戯、書之符、令合其拳一撤手而声響驟発。
児童の雷雨を戯れと為さんと欲すれば、これに符を書き、その拳を合して一撤手せしむれば声響驟(すなわ)ち発す。
「撤手」は「手を開く」。
金持ちのお坊ちゃんが雷を鳴らして遊びたいというのであれば、その手にお札を書きましょう。拳を握ってぱっと開けば、その瞬間に、どん、と雷鳴が鳴りまする。
〇田夫望雨、得其資、隔隴与之。大約銭多則多与、銭少則少与。其価皆不相若。
田夫雨を望むに、その資を得れば、隴を隔ててこれを与う。大約銭多ければ多く与え、銭少なければ少なく与う。その価、みな相若かず。
農業者が日照りで雨を望んでいる時に、おカネをいただければ、畔ごとに雨を降らせる。一般には、もらうおカネが多ければ雨の量も多く、少なければ雨の量も少ない。ただし、その値段は統一的ではない。
こんなふうに「気象」を文字通りの「売り物」にした。
高嘗夜擁群妓、酔中拘遣神将執役。
高、嘗(つね)に夜、群妓を擁して、酔中に神将を拘遣して執役せしむ。
高道士はいつも夜になると何人もの娼婦たちを抱き、酒に酔いながら、精霊たちに命令し束縛して天候を操るのであった。
これはすばらしい。うへへ・・・、だが、これではオンナの気を嫌がる精霊たちもたまったものではなく(←こんなこと書いて大丈夫でしょうか。まずいですよね。よし消去しよう、と)、ただれアタマの潘や、さらに天界のその筋にも陳情したそうである。
高の行為に怒った潘爛頭との予章・滕王閣での決闘は名高いが、引き分けに終わった。(いつの日かご紹介したいものです。術士同士の戦いとは如何なるものか、手に汗握ることになりましょう。ああその日まで肝冷斎の運命や如何に?)
しかし、高道士の運命はあっけなかったのである。
高之術神而心忍甚。
高の術は神にして心は忍なること甚だし。
「忍」は「ひどいことをされてもがまんする」ではなくて、「ひどいことをすること(に良心が咎めるだろうけど、それ)をがまんする」という意味です。
高道士の術は神秘的であったが、その精神は残忍であった(ので、天が許さなかったのだ)。
夏、高当午浴、天無片雲。雷霆遽震、殛之而死。
夏、高、午に当たりて浴するに、天に片雲無し。雷霆遽かに震し、これを殛して死せり。
夏の日、高道士は真昼間から風呂に入るのが常であった。そして彼はいつも、天にひときれの雲も無いことを確認するのだった。(何故ならその雲には、潘爛頭が潜んでいるかも知れないから)
その日も空には雲は無かったが、彼が入浴中に、突然カミナリが落ち、彼を殺してしまったのである。
何かに感電してしまったのです。みなさんも昼間からお風呂に入るときには注意してネ。
死体を調べると、
背有一行、云、隔田施雨最難饒。
背に一行有り、云う、田を隔てて雨を施すは最も饒(ゆる)し難し。
この「饒」(じょう)は「豊か」ではなく「ゆるす、みのがす」と訓じます。
焼け焦げた死体の背中には感電による傷跡があり、それが文字のように読めた。それをつなげると、
―――田んぼごとに区別して雨を降らせたこと。それだけは許せない。
と書かれていたというのである。
ああ、天の命ずる災いはこれを避けることができない。
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清・漁洋山人「漁洋夜譚」高道士伝より。他のことは許されても、払ったカネで差別して田んぼごとに雨を降らすことだけはおてんとうさまが許さなかったのです。
まことに、孔子曰く、
丘也聞有国有家者、不患寡而患不均、不患貧而患不安。蓋均無貧、和無寡、安無傾。(「論語」季氏篇)
丘や聞く、国を有(たも)ち家を有つ者は、寡なるを患(うれ)えず、均しからざるを患え、貧なるを患えず、安んぜざるを患う、と。けだし、均しければ貧しきこと無く、和なれば寡(すくな)きこと無く、安んずれば傾くこと無ければなり。
わたくし孔丘は(賢者たちから)こう聞いた。
国や一族の存続に責任を持つ者は、国に人口が少ないことは心配しない。人民の富が均等でないことを心配する。国が貧しいことは心配しない。人心が安定していないことを心配する。何故だろうか。人びとが均等であれば貧しいことなんか気にならない。人びとが和やかであれば人口が少なくても助け合っていける。人びとの心が安定していれば国家が傾くことはないからだ。
貧乏でもみんなで力を合わせて働いていけばいいのです。ところが、できるだけ多くのカネを稼ぐために、人民の間の格差が広がっていってもいい、その方が望ましいという為政者を何代も選んでしまっているらしいのである。なんと哀しむべきことではないか。