面似靴皮(面は靴皮の似(ごと)し)(「分甘余話」)
どんな顔なのでしょうか。

おサルを騙して名声を得たのだ、おいらはかなり鉄面皮かもよ。
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北宋の名臣・田元均は財務大臣に該たる三司使を務めたが、
厭権貴干請、然不欲峻拒。
権貴の干請を厭うも、峻拒するを欲せず。
権力ある人や身分の高い人からムリにいろいろ請求してくるのがイヤでしようがなかったが、強く拒否することはなかった。
単におもねるだけでなく、時にそういうところから重要な情報がもたらされることもありますから、拒否はしなかったのでしょう。田がなかなかの人物であったことが知れます。
面会時には、
毎温言強笑以遣之。
つねに温言し強いて笑いて以てこれを遣る。
いつも穏やかに話し、無理矢理にも笑って対応して、お引き取り願っていた。
後に友人に向かって言うに、
吾為三司使数年、強笑多矣。直笑得面似靴皮。
吾、三司使たること数年、強笑すること多し。ただに笑いて面の靴皮の似(ごと)きを得たり。
わしは、財政担当大臣を数年やらせてもらって、その間ムリに笑っていることが多かったんじゃ。おかげで、ひたすら笑っているだけで、ツラの皮が靴の皮のように分厚くなれたんじゃ。
と。
これは北宋・欧陽脩「帰田録」に書いてあることで、田氏はさぞ不愉快だったのだろうと想像する。
ところが、近年(清代)、月泉吟社という詩人の会合で、ある人を送別した際に。
執事吟髯似戟、笑面似靴。
執事の吟髯、戟の似く、笑面は靴の似し。
部長さまの歌う時のほほひげは(御立派で)まるでホコのように逆立ち、お笑いになるとお顔は(財政大臣をされたように)靴のようになられた。
というのがあった。
引用殊不倫矣。
引用ことに不倫なり。
典故の引き方があまりにもそぐわない。
最低じゃ。
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清・王士禎「分甘余話」巻二より。あわわ。清詩一代の正宗(正統派のエース)といわれる漁洋山人・王士禎ににらまれるとは。それでも笑っていられるなら、靴の皮を越えて地面ぐらいになれるかも。・・・よくよく考えれば、みなさんたいてい地面ぐらいにはなっているかも。鉄まであと少しだ。