脳涔涔然(脳、涔涔然たり)(「嘯亭雑録」)
アタマの中も治るでしょうか。

あさり食ってカルシウムつければ治る!かも。
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清の時代、モンゴル八旗のうちの上三旗から、
選士卒明正骨法者、隷上駟院、名蒙古医士。
士卒の正骨法に明るき者を選び、上駟院に隷して、「蒙古医士」と名づく。
士官・兵士のうち、「正骨」(接骨術)の法に詳しい者を選んで、宮中の馬車係に属させ、「モンゴル医学ざむらい」と呼んでいた。
ボキボキと強そうですが、
凡禁廷執事人有跌損者、咸命其医治。
およそ禁廷執事の人の跌損する者有れば、みなその医に命じて治す。
宮中で仕事をしている人が転んでケガをすると、みなこの医学ざむらいに命じて治療させた。
その際、
限以日期報癒、逾期則懲治焉。
限るに日期を以て癒を報じせしめ、期を逾ゆればすなわち懲治せり。
一定の日限を切って治癒させ、その時までに治癒の報告が無いと、それを理由に罰を与えるのであった。
信頼性が高かったようです。
わたし(肝冷斎ではありません)が実際に見た事案では、侍郎であった斉息園先生がウマから落ちて頭を打ったとき、
脳涔涔然。
脳、涔涔然たり。
「涔涔」(しんしん)は液体があふれ出る様子のオノマトペ。「じゅぶじゅぶ」でしょうか。
頭が割れて脳漿がじゅぶじゅぶと溢れて来る状態であった。
これはヤバイ。しかし、さすがに慌てず騒がず、
蒙古医士嘗以牛脬蒙其首以治之、其創立瘉。
蒙古医士つねに牛脬(ぎゅうほう)を以てその首に蒙らせて以てこれを治するに、その創立ちどころに瘉えたり。
モンゴル医学ざむらいは、いつもどおりウシの胃袋を先生の頭にかぶせて、その上で治療した。すると、ぞの頭蓋骨骨折はあっという間に治った。
のである。
この正骨法は、
時有秘方能立奏効、非岐黄家所能及者。
時に秘方のよく立ちどころに効を奏する有りて、岐黄家のよく及ぶものにはあらざりき。
「岐黄」は、「岐伯」と「黄帝」という二人の超古代の人物(当然、想像上の人です)で、どちらも医薬品を発見するのに力を尽くした人。この二人に「医術」を代表させ「岐黄家」は、チャイナの伝統医学の術者のことをいいます。
一部では、秘密の処方があって、すぐに効果をもたらすので、その分野では、チャイナ本流の本草学系の医学の及ぶところではなかった。
のだそうです。
近最著名有覚羅伊桑阿者、以正骨起家、至於鉅富。其授徒法、先将筆管戕削数段、令徒包紙摩挲。
近く最も著名なるに、覚羅伊桑阿なる者有り、正骨を以て起家し、鉅富に至る。その授徒の法は、先に筆管を将(もち)いて数段に戕削し、徒をして紙に包みて摩挲(ましゃ)す。
最近(清の終わりころ)、一番有名なのは、覚羅伊桑阿(ギョロイソンア)ではなかろうか。彼はモンゴル医学の正骨法から出世を開始して、鉅万の富を積むに至ったのだ。彼が自分の弟子たちに教える方法は、まず筆の管を使って骨の折れたあたりに数か所の傷をつけて分断し、その上に紙を巻いて、弟子たちに擦らせる、というものである。
真似してはいけませんよ。
皆使其節合接如未破者、然後如法接骨、皆奏効焉。
みな、その節をしていまだ破れざるが如きに合接せしめ、然る後に法の如く骨を接すれば、みな効を奏するなり。
こうすると、折れた関節部分が折れる前のように引っ付くので、その後、一般医術の方法で骨を接げば、効果が現われるのだ。
すごい。すぐれた科学だ。
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清・愛新覚羅昭連「嘯亭雑録」続録巻一より。騙されたと思ってやってみてください。
ホントに騙されたらどうするんだ?
いやいや、東洋の昔の人がやっていることにいちいち目くじら立ててはいけませんよ。
さて、目くじらってなんでしょう?
①大き目のクジラ
②小さめのクジラ
③その他
今日はこちらからたくさん来てくれはったみたいです。