亢龍有悔(亢龍、悔有り)(「周易」粋語解)
ほんとにわしは愚かでダメじゃのう・・・と今日も反省することばかりじゃ。この年でこんなに愚かではもう先が・・・そうじゃ、童子だったら愚か者で当たり前だから、童子になってしまえばいいのじゃ!。
ぼよよよ~ん。もくもくもく。
煙が晴れると、あら不思議、老肝冷庵は肝冷童子に変化していた!

こんなオロカそうな童子に変化したと思ひたまへ。
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ということで、童子になりまちたー。
コドモ心につらつら考えるに、この新しいHPになってから、「四書五経」をほとんど紹介してません。別に紹介しなければならないわけではないのですが、少しは読んでいる証拠を出ちたいところでちゅよね。しかし「四書五経」は解釈史とかいろいろめんどくさいので、おいらのような子どもの手には負えません。
でも、子どもだから、めんどくさいことをしろ、とは求められないと思うので、難しいことは抜きにして、
・「周易」の本文(すなわち卦爻辞のみ)から
・一卦に一つづつ
・何らかの基準も無く肝冷庵の気に入りだけで選んだ句
を紹介することにいたちまーちゅ。一回四卦づつでも六十四卦あるから十六回も稼げまちゅぞ。稼げたからといって何もいいことないんでちゅけれども。
「易」は京房易や梅花易や五行易など「易経」という書物とはほとんど関係ないものもありますし、プロの占断はすごいんです。手法も専門的にならざるを得ないし、当たるひとはほんとに当たる、といいますか、人の背中にあるアカシックコードを読み取るのか、本人も知らないことをがんがん語ってきたりしますので、おいらたち在野(=しろうと)の読書人にはなかなか手の出るものではないのでちゅが、「易経」の文章を読んでるだけだったら在野でもなんとかなるのでは、の精神でちゅ。
「周易」の最初の卦は、「乾」。六つの爻がすべて「陽」が並んだ卦です。その中では、下から六番目、一番上の爻(「上爻」といいます)の爻辞を読んでみましょう。
〇亢龍、有悔。
亢(あが)れる龍には悔い有り。
(この爻が出たおまえは)昇りきった龍だ。心に咎めることもあるだろう。
いいでちゅねー。この「乾」卦は、下から、「潜む龍」「現れた龍」「毎日努力しよう」「淵にいる龍」「飛んだ龍」と昇ってきて、第六爻では昇りきっています。「易」の思想では、昇りきってしまったら、もうあとは降るしかない。今空の上で、おまえさんは(しまった、こんなはずではなかった・・・)としきりに後悔しているのだ。ほんとは昇り過ぎてはいけませんが、昇り過ぎた時はできるだけ自然に降りていけるよう、努力してみましょう。
次は「坤」卦です。六つの爻がすべて「陰」が並んでいます。その一番下の「初爻」の爻辞を選んでみましょう。
〇履霜、堅冰至。
霜を履めば、堅き冰至らん。
(この爻の出たおまえは、)晩秋の霜を履んだのだ。やがて冰が固く張る厳冬がやってくる。
だから準備をしろ、なのか、だから諦めろ、なのか、だからガマンしろ、なのかはおまえさんの解釈次第。ここから悪くなってくるぞ、というのは「易」の常とう手段です。いかにも易らしい爻辞ですね。
他にも「直方大」とか「括嚢」とか「含章」とか知っているだけで人生が豊かになるようなコトバが並んでいまちゅねー。
三つ目は「屯」卦です。何かが始まる、芽生えることを意味する卦ですが、ここでは、第三爻の爻辞から、
〇即鹿無虞。惟入于林中。
鹿に即(つ)くに虞(ぐ)無し。林中に入るのみ。
を選んでみましょう。「虞」は古代の役人で、山林を管理し、狩猟の時に案内をする役柄です。
(この爻が出たおまえは、)鹿狩に出かけたが案内役がいないのだ。林の中に迷い込むだけだろう。
危ないでちゅ。気をつけてくだちゃいな。
次は「蒙」卦。啓蒙の蒙、「愚か」を意味します。これは第五爻の爻辞を読んでみましょう。
〇童蒙吉。
童の蒙なり、吉。
(おまえは、)子どもなので何もわかっていないだけだ。(子どもは教えてくれる人に従順に勉強していくから、やがて)よきことがあるだろう。
同じオロカでも子どものオロカはいいオロカ。みなさんもどうせオロカ者なので、子どもの心で従順に勉強してくださいね。
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ではまた、お会いいたちまちょー。