5月6日 まだ遅くはない、明日からでも

時既晩(時すでに晩(おそ)し)(「李退渓文集」)

明日はまた出勤しなければなりません。しまった! 岡本全勝さんも嘆いている?・・・あれ?肝冷斎の頑強さについても触れられていますね。

肝冷斎は40年ぐらい、こんなことばかり考えていたのだ。「失敗作だったな」という声も聞こえてまります。

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五十歳の時、郷里に帰って、「寒棲庵」を作って、ここに隠棲した。

移草屋於渓西、名曰寒棲庵。

粗末な建屋を、渓の西側に移した。これに「寒々と(清らかに)棲む庵」と名付けた―――の詩。

茅茨移構澗巌中、正値巌花発乱紅。

古往今来時既晩、朝耕夜読楽無窮。

と言っておられます。全勝さんの孫の相手とどちらがたいへんかな。

さて、この人は誰あろう、李朝の大儒・李退渓さまだ。

ああ! しまった、退渓さまの隠棲の時期に、さらにおくれてしまっているのだ!!!!

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李朝・李退渓「退渓文集一」より。大丈夫です。退渓先生は、このあとまた朝廷に呼び出されたり辞めたり処罰されたりしていますから、みなさんもまだ遅くはありません。でも早くした方がいいかも。

退渓先生は、隠棲してから、はじめて「朱子文集」を入手して読んだんだそうです。そこで、自分が体認していた「世界観」が朱子の文章に書かれていたことに感動して、朱晦庵先生が弟子に宛てた手紙の「いいところ」を抜き出して整理した。「朱子書節要」という名著です。肝冷斎は読んだかどうかは別として、ちゃんと持っているんです! だが、地層の下の方なのでこの二十年ぐらい読んでない。朱晦庵も、自分の体認していた「世界観」が聖賢の古典と北宋以来の思想家たちのそれの「読み」に、書いてあることに感動して朱子学を作ったんです。朱子は、古典に書いてないことも「こんなことやろ」と言って書いてしまったんです。

笑ってはいけません。そんな「体認」していない人がした人を笑ってはいけないからです。ちなみにわたしはしてませんので、笑わないことにして、もう四十年ぐらいになっています。さすがに体力切れてきた。

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