5月5日 今日は子ども(関連消費)の日だっけ

子弟流蕩(子弟、流蕩す)(「袁氏世範」)

今日は子どもの日でした。「憲法」「みどり」「子ども」と、これでまだ三日しか休んでないのにシアワセです。ずっと休みならどれほどのシアワセになるであろうか。

だんだん大人になっていくのだ。

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子どもの日ですから、子どもの教育について考えてみましょう。

苟無世禄可守、無常産可依、而欲為仰事俯育之計、莫如為儒。

科挙に合格でもして進士さまになれれば一番いいわけですが、そうでなくても、書院の教授になることもあろうし、そこまで行かなくても代筆や寺子屋で子どもたちに教えたり、いろいろ「つぶし」が効きます。

儒者にならないのなら、

巫医、僧道、農圃、商賈、伎術、凡可以養生而不至于辱先者、皆可為也。

どんな職業でも、それで生計が成り立っている限り、先祖に恥ずかしい思いをさせることはない。だが、

子弟之流蕩、至于為乞丐、盗竊、此最辱先之甚。

然世之不能為儒者、乃不肯為巫医、僧道、農圃、商賈、伎術等事、而甘心為乞丐、盗竊者、深可誅也。

―――乞食と盗人にさえならなければいいんですね。

そうです。ただし、言っておきますけど、

凡強顔于貴人之前、而求其所謂応副、折腰于富人之前、而托名于仮貸、游食于寺観、而人指為穿雲子、皆乞丐之流也。

居官而掩蔽衆目、盗財入己、居郷而欺凌愚弱、奪其所有、私販官中所禁茶塩酒酤之属、皆竊盗之流也。

世人有為之而不自愧者、何哉。

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宋・袁采「袁氏世範」巻二「処己」より。これは、ご先祖から子孫に言い置いた「家訓」です。八百年も前の人の言葉なのに、ほんの30年ぐらい前、バブルもインターネットも知らない時代までは、「なるほどなあ」と通用したかも知れません。しかし、一段と進歩した現代(人新世)では、おカネ儲けにも「論破」の役にも立たない教えなど、子孫たちから、「じゃあじじい、おまえがそのとおりに生きてみろよ」と言われて「むむむ・・・」と黙り込んで終わりでしょう。「西洋の没落」から百年、今や人間そのものが没落した、といえようか。

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