食牛之気(牛を食らうの気)(「郎潜紀聞」)
炭水化物ばかり食っていると、牛丼食いたくなってきますね。

こどもはパンでも食べとれ。
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清の康煕年間(1662~1722)の終り頃のことですが、
吾邑名宦郷賢祠、明降臣張傑、謝三賓、亦濫列焉。
吾が邑の名宦郷賢祠に、明の降臣の張傑、謝三賓、また濫列せり。
我が浙江・寧波の郷土出身の高官や賢者を祭る祠に、明から清に降った張傑、謝三賓といった連中が、精査もされずに並べられていた。
当時不知何人、謬為陳請。
当時何人たるかを知らず、謬(あやま)ちて陳請を為す。
そのかみ、一体どういう連中かも知らずに、間違って誰かが祀るように請求したものだったのだろう。
ある年、一人の少年が、
年十四、補諸生、例謁学宮。
年十四にして諸生に補せられ、例として学宮に謁せり。
十四歳になって、寧波の学校の学生に選ばれ(給料も出ます)、先例どおり、学校の敷地にある上記の祠にお参りした。
そこで、少年は、
見二人木主、大怒。
二人の木主を見て、大怒す。
張、謝二人の木の位牌が並べられているのを見つけ、たいへん憤激した。
回りの大人たちに向かって、
「あなたたちは、この二人がどんな人たちか知ってここに祀ってきたのですか。少し郷土の歴史を学んでいればご存じのはずだ。
此反覆売主之乱賊、奈何汚宮牆也。
この、反覆して主を売るの乱賊、奈何(いかん)ぞ宮牆を汚さんや。
この裏切って主君を売り飛ばした反乱者たちが、どうして学校の敷地の中を汚していてよいのですか!」
亟掣取捶砕之、投之泮池。
亟(すみ)やかに掣取(せいしゅ)してこれを捶砕し、これを泮池に投ず。
「泮池」は学校の中に設けられた池。周代以来、学校には半円の池を設けるものとされ、これを「泮池」と呼んだのである。
ただちに二人の位牌を引きずり出して、ムチで殴って叩き壊し、かけらを学校の池に投げ込んでしまった。
この少年こそ、後の謝山先生・全祖望であった。まだ少年のころから、悪をにくみ、正義の心に溢れていたのである。
乳虎初生、已具食牛之気、信然。
「乳虎は初生にして、已に牛を食らうの気を具す」とは、まことに然り。
「トラの赤ちゃんは、生まれたばかりのときでも、もう(お乳ではなく)ウシ肉を食らおうというような気概を持つものじゃ」、というが、本当のことですなあ。
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清・陳康祺「郎潜紀聞」二筆巻十四より。「乳虎初生、已具食牛之気」というコトバはどこかで使ってみてください。かっこいいですね。なお全祖望先生というひとがどんな人か、はウィキペディアなどでお調べください。今日はこれのせいでもう時間がありません。GWの貴重な日々にひどいことしやがるぜ。