5月3日 今日はこどものころから休みでした

論陋于是(論、ここに陋たり)(「風俗通」)

古代のひとにも科学的なひとはいたらしい。

夏も近づく玉手箱。今年こそは開けてみる?

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「漢書」王吉伝(列伝第四十二)にこうあります。

王吉、字・子陽は、山東・琅邪のひと、

少時好学、兼通五経。

宣帝(在位前74~前49)の時に益州刺史、博士諫大夫に進んだが、

居位清廉。然好車馬衣服、自奉養極為鮮明。

ところが、

及遷徙去処、所載不過嚢衣、不蓄積余財。去位家居、亦布衣蔬食。

時人服其廉、而怪其奢、故俗伝王吉能作黄金。

・・・・わたくし応劭、謹んで按ずるに、秦の始皇帝は不老長生を得て東海の蓬莱山に行くことを夢見ていたが、ついに沙丘で亡くなった。漢の武帝は文成や五利といった道士の言を疑わず、神仙になる方法を探求したが、行き詰ってしまい、彼らに死を賜った。淮南王・劉安は黄金や白銀を作り出す術を得ようとしたが、死刑になってしまった。劉向は劉安の遺した書物からその術に関する書物を集めて成帝に献上したが、そのとおりにしても金銀はできなかったために獄に下された。

秦漢以天子之貴、四海之富、淮南竭一国之貢税、然不能有成者、夫物之変化固自有極。

王吉何人、独能乎哉。語曰、金不可作、世不可度。王吉居官食禄、雖為鮮明、車馬衣服、亦能幾所、何足怪之。

乃伝俗説、班固之論陋于是矣。

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後漢・応劭「風俗通義」正失第二より。モノの変化には行きつくところがあって、そこからはもう変化しないのだ、と、古代人にまともな「化学」みたいに反論されてしまいました。悔しい。あ、でも、そうか、我が国の「憲法」ももはや行きつくところまで行ってるので変化することがないんだ。「シン・憲法」なのです。・・・なのかも知れません。

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