山水喩愁(山水愁いに喩う)(「鶴林玉露」)
廣島サミットで、日本外交がたいへんうまくいったといわれています。よかった。それにつけても悲しいなあ。

やった、シリコダマを手に入れた!というよろこびの瞬間にも、もう悲しみは忍び寄っている。
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山と水はどちらが悲しいかなあ。
有以山喩愁者。
山を以て愁いに喩うる者有り。
山を、悲しみの譬えとする人がおります。
盛唐の杜甫(712~770)いう、
憂端如山来。
憂端、山の如く来たれり。
憂愁のはじまりが、山のように迫ってきた。
中唐の趙嘏(844進士)いう、
夕陽楼上山重畳、未抵春愁一倍多。
夕陽楼上、山重畳するも、いまだ抵(あた)らず、春愁の一倍多きに。
夕陽楼の上から見ると、山なみが幾重にも重なっている。
それでも、春の悲しみが倍増するのには対抗できない。
それほど悲しみは深いのだ・・・。
これらである。
有以水喩愁者。
水を以て愁いに喩うる者有り。
川や海を、憂愁の譬えとする人もおります。
中唐の李群玉(808~862)いう、
請量東海水、看取浅深愁。
請う、東海の水を量り、浅深の愁いを看取せよ。
東シナ海の水を量ってみて、悲しみが浅いとか深いとか調べてみてください。
海の水が量れるはずがなかろう。それほどわたしの悲しみは深いのだ・・・。
五代・南唐の後主・李煜(937~978)がいう、
問君都有幾多愁、恰似一江春水向東流。
君に問う、すべて幾多の愁い有りて、恰も似たる、一江の春水の東に向かいて流るるに。
教えておくれ、一体どれほどの悲しみがあって、
春の長江の水が東に向かってひとすじに流れていくような、大いなる河となるのか。
北宋の秦少游(1049~1100)いう、
落紅万点愁如海。
落紅万点、愁いは海のごとし。
紅の花が散り落ちて一万片、おれの悲しみは海のようだ。
どうやら、近年は水の方が悲しみに喩えられることが多いようである。
ところで、賀方回(1052~1125)がいう、
試問閑愁知幾許、一川烟草、満城風絮、梅子黄時雨。
試みに問う、閑愁のいくばくなるかを知るや、一川の烟草、満城の風絮、梅子黄なる時の雨。
さて、どれが一番そぞろに悲しいか答えてみてください。
川のほとり、見渡すばかりの靄の中の草。(初春)
町中に飛ぶ、柳のわたぼうし。(晩春)
ウメの実が黄色く色づくころの雨。(初夏)
これは、
蓋以三者比之愁多也、尤為新奇。兼興中有比、意味更長。
蓋し三者を以て愁いの多きに比し、尤も新奇なり。興中に兼ねて比有りて、意味さらに長。
つまりは三つのものを悲しみの深さに譬えており、はなはだ新規な味わいを出している。連想法の中に譬喩が重複していて、意味するところはこれまでにない深さである。
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南宋・羅大経「鶴林玉露」乙編巻一より。数が多ければいいということはないと思いますよ。ともあれ、どんな季節にもどんな景色にも憂いと悲しみはあり、大人は逃れることができないということがわかります。
なお、上の李群玉の詩はさらに
愁窮重于山、終年圧人頭。
愁い窮まりて山よりも重く、終年、人頭を壓す。
悲しみはさらに極まって山より重くなってきて、一年中、おれの頭を押さえ込んでいるんだ。(「‘雨夜、長官に呈す」)
と続いて、山を以て喩える方の例にもなるのですが、羅大経はそれには触れておりません。めんどくさかったのでしょう。