比之匪人(これに比しむは、人に匪ず)(「周易」)
親しいものは実は人間ではないかも知れませんよ。

にこにこしてがんばるでコン。
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「易」の経文を読んでみましょう。第二回。前回は子どもでしたが今回はおとなでやっております。
第四番目の卦である「需」は、「需要」の「需」で「もとめる」「まつ」と訓じますが、経文では初爻から第五爻まで、「〇〇に需(ま)つ」というコトバで統一されています。郊に需つ、血に需つ、酒食に需つ、など。
易の爻辞は、もともとは五本づつのおみくじの占辞だったといわれる、というのは前回もお話したかと思いますが、ここでも1から5までは「需」で貫かれているのですが、上爻だけ足らなかったみたいで、「需」がありません。
〇入于穴。有不速之客三人来、敬之終吉。
穴に入る。速(まね)かざるの客三人来たる有るも、これを敬えば終(つい)には吉。
「速」は、解釈者はみんな、「促」と同じで「うながす」、「不速」で「うながしたのではない、勝手に来た」という意味に解していますが、①「勝手に来やがった」と解するか②「自ら来てくれた」と有難がるか、かなり違う二つの結論があります。
①(何かを待つという消極的な対応を取っている間に、おまえは)身動きつかないところに入り込んでしまったようだぞ。そこへ、来なくてもいい人たちが三人ぐらい来てしまうだろう。だが、彼らを大切に取り扱えば、最終的には良き方向に進む。
②おまえは身動きがつかないところに入り込んでしまっている。だが、予想もしなかった人たちが三人ぐらい来てくれて、彼らがいろいろ助けてくれるから、敬意を以て対応すればやがて良き方向に進む。
と、だいぶん違う雰囲気になります。好きな方を選んでもらえばいい・・・のですが、科挙を受ける時は程伊川の解釈をもとにしなければなりませんから、①をベースにしてください。
次は「訟」、「うったえる」「あらそう」という卦です。
訴訟を起こす人の立場と訴訟を裁く人の立場、両様で爻辞が書かれているのですが、これも上爻の爻辞を読んでみましょう。
〇或錫之鞶帯、終朝三褫之。
或いはこれに鞶帯(はんたい)を錫(たま)うも、終朝にみたびこれを褫(うば)わる。
「鞶」(はん)は飾りのついたでかい帯、です。功績を称えて君主から下賜される。「褫」(ち)は「褫奪」の「褫」で、賜わったモノを君主に取り上げられてしまうこと、です。
(自分の功績をぶうぶう訴えていれば、)でかい飾り帯をご主君から賜わることもあろうが、(訴訟をするような強い心でいると)朝のうちに三回も褫奪される(つまり二回はもらえる?)ようなことになろう。
訴訟するような強い心よりも、「まあまあ」の穏やか精神がいいよね、というのです。「易」らしいですね。
次は「師」、これは「いくさ」「軍団」「軍団の指揮者」の意味。
五爻目までにも名高い言葉もあるのですが、これもやはり上爻の爻辞が印象的です。
〇大君有命、開国承家。小人勿用。
大君命有りて国を開き家を承く。小人は用うるなかれ。
(もう戦さは終わり、将軍のような)ものすごく偉い人が国家の在り方を決める時だ。ある人は諸侯に取り立てられるだろうし、その次は卿や大夫として家に伝わる地位や領地を安堵されるだろう。だが、善くないやつは(褒賞は与えても)政治に関わらせてはならない。
厳しいですね。「易」は、戦さというのはいろんなことが起こるので、小人であっても大いに役に立つことがある、という前提で、ただし小人に権限を与えてはいけない、と言っているそうなんです。ただ、「小人」が人格的なことを言っているのか、本来の地位(身分)のことを言っているのか、解釈している人はみんな前者で解釈しているんですが、経文の本来の意味は後者なのかも知れません。
次が「比」卦です。「比」は「したしむ」と訓じます。親しい「ヒ」が二人、仲間で友だちでだいたい同じなので「したしむ」になったり「くらべる」になったりします。
この卦の爻辞には「孚有りてほとぎに盈つ」とか「王、三駆を用う」といった有名な句がありますが、ここは第五爻の爻辞を引きます。
〇比之匪人。
これに比(した)しむに、人に匪(あら)ざらん。
(今、おまえが)親しくしているやつは人間としてダメなやつだぞ!
てめえら人間じゃねえ、とたたっ切られます。
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「周易」需・訟・師・比より。一週間四卦づつであと15回稼げます。楽ちんちん。こちらも一週間四回で楽ちん。