人事畢矣(人事畢(おわ)れり)(「晏氏春秋」)
もう終わりなんですか。じゃあそろそろ片づけ始めなければ。

国民の支持率も上がっているのに亡びるなどというやつは、大ナベの中でぐつぐつ反省だ。
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春秋の時代、晋の賢者・叔向が言いますことには、
戎馬不駕、卿無軍行、公乗無人、卒列無長、庶民罷弊、宮室滋侈、道殣相望。而女富溢尤。
戎馬駕せず、卿に軍行無く、公乗に人無く、卒列に長無く、庶民罷弊し、宮室滋(いよいよ)侈(おご)り、道に殣相望す。而して女富のみ溢(ますまず)尤(はなは)だし。
軍用の馬が足らん(平和ボケだ)。
貴族が軍の指揮を執ることはもう無い(世襲貴族にはそんな能力もない)。
晋公の馬車に同乗する人材がいない(今、同乗しているやつらは諂いおもねるやつらばかり)。
歩兵部隊に隊長がいない(庶民階級に仕切れるやつがいなくなった)。
庶民階級は疲弊しているようだ。
宮殿建築は以前よりも立派になった。
道には餓えた者たちが顔を突き合わせている(物乞いや浮浪者が多くなった)。
それなのに、権力とカネを持つ者たちからの寵愛を受けて、そういう女どもだけがますます栄えているのだ!
まずいよ、ジェンダーだ、ここ注意されるよ。
さらに続きます。
民聞公命、如逃寇讐。政在家門、民無所依。
民、公の命を聞くに、寇讐を逃れんとするが如し。政(まつりごと)は家門に在りて、民に依るところ無し。
人民たちは、晋公の命令だと言われると、仇敵や強盗から逃れようとするように、逃亡する。
行政実務は大夫の私的な部下たちが取り仕切り、人民たちには頼りにできる公的な組織が無い。
官邸官僚みたいなやつらが「ちょこちょこ」とやってしまうのでしょう。そして誰も責任を取らないのでしょう。
而君日不悛、以楽慆憂、公室之卑、其何之日有。
しかるに、君は日に悛(あらた)めず、楽を以て憂いを慆(よろこ)びとし、公室の卑(ひく)きこと、それ何れの日にかこれ有らん。
それなのに・・・、主権者の晋公はいつまで経っても改めようとしないのだ。音楽を聴いて、イヤな時にも楽しく感じているらしい。主権者の地位が低下し(ひっくり返る)時も、それほど遠くない日に来るであろう。
いつも言ってますけど、チャイナ古典の「君」は、主権者、と訳して我が身を顧みてくださいね。
ところで、「讒鼎」という大ナベがあります。それに鋳込まれた銘に曰く、
昧旦丕顕、 昧旦丕(おおい)に顕かにすれども、
後世猶怠。 後世なお怠る。
況日不悛、 いわんや日に悛ためざれば、
其能久乎。 それよく久しからんや。
夜に朝にたいへん明確に(初心を)確認しているのに、
それでも後々にはサボり出す。
それなのに、毎日毎日の反省をしないなら、
はて、いったいどれほどもつのやら。
と。
「ああ・・・」
これを聴いて、斉の賢者・晏嬰は言った、
然則子将若何。
然ればすなわち子は、はた若何(いかん)せん。
「それじゃあ、おまえさんは、いったいどうするつもりじゃな」
叔向は答えて言った、
人事畢矣。待天而已。
人事畢(おわ)れり。天を待つのみ。
「もうわしのやることはやり尽くし申した。あとは天にお任せじゃ」
・・・おあとがよろしいようで。
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「晏氏春秋」巻二「問下」より。賢者でもここまで追い込まれているのです。いわんや我ら凡人をや・・・と思ったけど、我らは危機が迫っているのにも気がつかないから凡人なのでした。だから何も追い込まれてないのだ。ああ今日も楽しいなあ。