風景皆如意(風景みな意の如し)(「楡巣雑識」)
いい天候になってきましたね・・・と思ったら雷雨。なかなか思い通りにはいきません。

こんな絵だった・・・ということはないでしょう。
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清中期、「詩書画三絶」、「揚州八怪領袖」と謳われた板橋先生・鄭燮は揚州興化のひと、
胸次瀟灑、随意点染、具有清夷出塵之致。
胸次瀟灑にして、随意に点染し、清夷出塵の致を具有す。
胸のうちはきれいさっぱり、好き放題に筆を揮って、その書と画は清々しく野趣があり、汚れた俗世と離れた雰囲気を具えていた。
と称せられる。
わたしは生前の彼を知らないが、かつて某所で彼の小幅(小さい画)を見るに、
写一花尊、供蘭枝、飛竹葉数个、左側一水盂、浸蘭花朶朶。
一花尊を写し、蘭枝・飛竹葉数个を供し、左側の一水盂には蘭花を浸して朶朶(だだ)たり。
花瓶を一つ描く。それには、蘭の枝と斑竹の葉を数葉挿してある。左に平ぺったい水盆が一枚あって、それには蘭の花がじゅぶじゅぶに浸してあった。
横写一如意。
横に一如意を写す。
その前に、如意棒(お寺などで使う、物をひっかけて近くに寄せるための棒)が一本横たえてあった。
題句に云う、
年年風景皆如意、水暖花香竹葉肥。
年年の風景、みな意のごとく、水暖かにして花は香り、竹葉は肥ゆ。
毎年毎年、世界中が思いどおりになってくる。
水はぬるみ、花は香り、竹の葉はあおあお。
毎年自然に春が来る、というだけなのですが、それを「意の如く」なる、と表現した。
わずかにこれだけで、
其風韻可想也。
その風韻、想うべきなり。
生前のその人柄、雰囲気が想像できるではないか。
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清・趙慎畛「楡巣雑識」巻上より。板橋先生は六十歳の時まで役人をしていたのですが、飢饉対策をやりすぎでクビになり、揚州に帰って売画・売書、勃興する都市ブルジョワジーにひっぱりだことなって老いを養った。書画を買うときには現金払いを推奨し、現金の場合は上のような「小幅」は二両だったそうです。世の中、カネです。