4月9日 寝てはいけない会議こそ寝る

独不懼耶(独り懼れざるや)(「楡巣雑識」)

気をつけていても失敗することがあります。年をとってどんどん増えてきたような気がします。

肝冷斎などまだまだひよっこの年寄、大丈夫じゃ・・・というわしの判断力自体がヤバイかも。

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清の時代、康煕・雍正の名臣、文端公・張鵬翮(ちょう・ほうかく)さまは、関帝(関羽さま)を篤く敬っていたので有名である。

康煕年間の半ばごろ(1700年ぐらいですね)、河道総督として黄河の治水に奔走していた時には、

於行署庁事中供奉関帝像、傍周将軍持刀侍立、自設几案、端座弁事。

関帝さまの前では良心に愧ずることはできないのである。

有時集寮属商略、稍有不当、即拱手曰関夫子在上、監察無遺。豈敢徇隠。

また、

間有干涜者、即曰、周将軍刀利、爾独不懼耶。

この人も「コワいからしてはいけない」とわかっていても眠くてしてしまった、だけなのかも知れませんね。

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清・趙慎畛「楡巣雑識」下より。張鵬翮さまは、これだけ読むとアブない人みたいに見えますが、ほんとはすごい人なんです。

張鵬翮は、四川・遂寧のひと、康煕九年(1670)の進士、対ロシア外交、各地の巡撫・総督、礼部・吏部の尚書(長官)を歴任し、どの仕事でも功績を挙げて、康熙帝をして

天下廉吏、無出其右。

康熙帝崩御の後、雍正帝から文華殿大学士(宰相)に任ぜられる。死後、

雍正帝からも

一代之完人、千秋之茂典。

という弔辞をいただき(「清史稿」本伝等)、清朝が終わるまで名臣をお祀りする「賢良祠」で毎日礼拝されていた、というすごいすごい人なのですぞ。

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