4月9日 何か考えると自動的に眠るようになってきた

君子而夜行(君子にして夜行す)(「觚賸」)

この人も、ただ眠たかっただけなのではないでしょうか。

(わしも・・・病的に・・・眠い・・・)

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新しい王朝に仕えることなく、学問と人格で多くの人に影響を与えた清初の三先生の一人、顧亭林は、

貌極醜怪、性復厳峻。

清の時代になった後も、各地を転々として抵抗運動を続けたが、

凡所至之地、輒買媵婢、置荘産、一二年即棄去、終已不顧。

「媵」(よう)は古代に嫁につけて嫁入りさせた女のことです。

而善於治財、故一生羈旅、曾無困乏。

江蘇・東海の両なにがしは試験に受かって北京で「学士」の地位を得たが、

宦未顕時、常従仮貸、累数千金、亦不取償也。

康煕丙辰、余在都下、而先生適至、両学士設宴、必延之上座。

上座に座った亭林先生に対して、両はお酒を勧めた。すると、

三爵既畢、即起還寓。

学士が言った、

甥尚有薄蔬未薦、舅氏幸少需。暢飲夜闌、張灯送回何如。

「このおろかものが!!!!!」

先生は激しくお怒りになって、おっしゃった。

世間惟淫奔納賄二者皆於夜行之。豈有正人君子而夜行者乎。

「ありますよ」と言いたいところだが、

学士屏息粛容、不敢更置一詞。

亭林の弟子だった陸舒城がいつも言っていた。

人眼倶白外黒中、惟我舅祖両眼倶白中黒外。

非習見不知其形容之確。

ちらりと会っただけのわたしには普通の人と同じように見えたものだが、

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清・鈕琇「觚賸」続篇巻二より。くそおやじだ。こわいですね。これに借金したら頭上がらんでしょう。しかし、夜行うことはエッチと賄賂のやりとりだけだ、はいい言葉ですね。早く寝ないといけません。

このひともええこと言うてるやん。

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