松竹得其所(松竹もその所を得)(「艸山集」)
今日は花祭りのはずですが、寒い。それもそのはず旧暦ではないからです。実際には旧暦や月遅れで五月八日に灌仏会を行うお寺さんもあるという。花祭の「花」はサクラでなくてツツジなのであろう。

みんな元気かな?これからどんどんいい季節、いい人生になるよ。ライオンズはダメかもだけど。
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最近肉体的に弱ってきていて、ほんとに無常を感じる日々となってまいりました。そこで、今日は仏教的なものを味わっておきましょう。
―――明暦元年(1655)の秋、深草に棲みはじめましてな。その翌年春に作った詩です。
新居人未知、春独偶然来。
新居は人いまだ知らざるに、春は独り偶然に来たれり。
わしの新しい庵の場所は、多くの人がまだ知らないはずなのに、
春だけはたまさかに来てくれた。
洗鉢覚泉暖、転逕試日遅。
鉢を洗えば泉の暖かなるを覚え、逕を転じて日の遅きを試みる。
メシをいただいた後の鉢を洗ってみると、水がなんだか暖かくなったのがわかった。
そこで、いつもの散歩道を少し変えて(長い散歩をして)日が長くなったことを確かめてみる。
霞雲閉幽戸、芳艸出疎籬。
霞雲(あいうん)は幽戸を閉ざし、芳艸は疎籬(そり)を出でたり。
カスミだか雲だかふわふわしたのがわしの庵の扉に立ちこめて家から出られない。
一方、いい匂いの草は、まばらな垣根の間から顔を出しはじめている。
草花だけではないのだ。
松竹得其所、林丘雪解時。
松竹もその所を得、林丘雪の解くるの時。
冬にも凋むことのない松や竹も、自分のいるべき場所にいる。
丘の林の雪が解けて、それらが見えるようになってきたのである。
すべてのものがその所を得るのじゃ。山川草木、悉皆成仏。
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本朝・深草元政上人「艸山集」より「新居」。この詩の「春」は、今の季節の春ではなく、新年一月一日(旧暦)のことです。道理で寒そうなわけじゃ。
夏になる前に京都などにも行ってみたいが、弱ってきている上に、インバウンドなどでわたしどもの居場所はありません。なんにもしたくないし。昭和の年寄なので自律も恥も外聞もありません。ライオンズみたいになってきました。はやくもダメだ。