4月5日 これも孔明のワナかも知れない

願託遺音(願わくば遺音を託さん)(「文選」)

現代のすぐれた文明では解決された。

おれには伝言機能は無いでバード。しあわせになりたければ自分で伝えることでバード。

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高台多悲風、朝日照北林。

「北林」というのは「詩経」晨風の詩に

鬱彼北林。

とあることから、鬱蒼とした暗い林であることになっています。

おそらく風よけとして隙間なく植えられたのでしょう。あるいは洛陽の「北邙」(北の山)のように、死者を葬るところという連想もあるかも知れません。

今、高い台の上で、一人この山東の荒涼たる景色を見ているのである。

之子在万里。江湖迥且深。

相手は、長江に近いところにいるはずなんです。そこで、舟で行ってみられないか。

方舟安可極。離思故難任。

ならば飛んで行ってみようか。おりしも、

孤雁飛南游、過庭長哀吟。

翹思慕遠人、願欲託遺音。

だが、そんなことはできはしない。

形影忽不見、翩翩傷我心。

現代のすぐれた文明ならスマホですぐ連絡が取れるのに。古代のしかも東洋のひとはおくれている、可笑しいなあ、わははは。
・・・と、みなさんは笑っているかも知れません。本当に可笑しい(笑うべき)なのはどちらか、よく考えてみるといいですね。

この詩は曹思王・曹植が黄初二年から三年(221~222)に、兄貴の魏文帝・曹丕に山東の曹国に赴任を命じられて、そこから同様に江南地方に赴任させられた弟の曹豹を思って作ったのだといわれます(「文選」李善注)。まだヒミコの文さえ来ておりません。

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三国魏・曹植「雑詩」一(「文選」所収)。李白、杜甫以前の第一人といわれるのですが、彼の詩はあまり読んだことが無かった。読んでみると確かに、「個としての精神」のある人だったことわかります。「三国志」の時代には、関羽や張飛や孔明みたいな可能な限り単純にパターン化された人間だけが生きていたのではなかったのだ。

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