願託遺音(願わくば遺音を託さん)(「文選」)
現代のすぐれた文明では解決された。

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高台多悲風、朝日照北林。
高台(こうだい)に悲風多く、朝日(ちょうじつ)は北林を照らす。
高い見晴台に登れば、悲し気な風が多く集まる。
(ここから見ていると、ちょうど)朝の光が北の暗い林を照らし出している。
「北林」というのは「詩経」晨風の詩に
鬱彼北林。
鬱たるかな、彼の北林は。
鬱蒼と茂っているものだ、あの北の林は。
とあることから、鬱蒼とした暗い林であることになっています。
おそらく風よけとして隙間なく植えられたのでしょう。あるいは洛陽の「北邙」(北の山)のように、死者を葬るところという連想もあるかも知れません。
今、高い台の上で、一人この山東の荒涼たる景色を見ているのである。
之子在万里。江湖迥且深。
之(こ)の子、万里に在り。江湖、迥(はる)かにかつ深し。
あの人は、万里の向こうにおるのだ。
わたしとの間には、川や湖のはるかに、そして深いのが隔てている。
相手は、長江に近いところにいるはずなんです。そこで、舟で行ってみられないか。
方舟安可極。離思故難任。
舟を方(なら)ぶるもいずくんぞ極(いた)るべけんや。離思故(もと)より任(た)え難し。
二艘の舟で出かけようと思うのだが、そこまで行きつけるはずがない。
けれど、別離の心はどうしようにも耐えられないほどだ。
ならば飛んで行ってみようか。おりしも、
孤雁飛南游、過庭長哀吟。
孤雁飛びて南に游び、庭を過ぎて長く哀吟す。
ただ一羽のはぐれ雁が、南に向かって飛んでいく。
わたしの館の庭の上を横切って、長々と哀し気に鳴いた。
翹思慕遠人、願欲託遺音。
思いを翹(あ)げて遠き人を慕い、願わくば遺音を託さんと欲す。
思いを飛ばして、遠い人のところへと、
あの雁にわたしの言葉を届けてくれるよう頼んでみようかと思う―――
だが、そんなことはできはしない。
形影忽不見、翩翩傷我心。
形影忽ち見えず、翩翩(へんぺん)として我が心を傷ましむ。
(雁の)姿はもうはるか彼方だ。
くるりくるりと飛んで、おれの心をさらに傷つけるのだ。
現代のすぐれた文明ならスマホですぐ連絡が取れるのに。古代のしかも東洋のひとはおくれている、可笑しいなあ、わははは。
・・・と、みなさんは笑っているかも知れません。本当に可笑しい(笑うべき)なのはどちらか、よく考えてみるといいですね。
この詩は曹思王・曹植が黄初二年から三年(221~222)に、兄貴の魏文帝・曹丕に山東の曹国に赴任を命じられて、そこから同様に江南地方に赴任させられた弟の曹豹を思って作ったのだといわれます(「文選」李善注)。まだヒミコの文さえ来ておりません。
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三国魏・曹植「雑詩」一(「文選」所収)。李白、杜甫以前の第一人といわれるのですが、彼の詩はあまり読んだことが無かった。読んでみると確かに、「個としての精神」のある人だったことわかります。「三国志」の時代には、関羽や張飛や孔明みたいな可能な限り単純にパターン化された人間だけが生きていたのではなかったのだ。