把滑相警(把滑と相警しむ)(「不下帯編」)
中華を大量に食ってしまいました。また今週も体重増。どう気をつけてもどうしようもないのだ。

マジメにやっていても貴族の方々は厳しい。マジメにやらなければなおさらだ。
・・・・・・・・・・・・・・・・
清代のことですが、
長安一雨、則泥淖盈衢。輿人畀平肩輿者、恒慮吃躓、数唱声曰、把滑。
長安一雨すればすなわち泥淖衢に盈つ。輿人の肩輿を畀平(ひへい)する者、常に吃躓を慮りて、しばしば唱声して曰く、「把滑」と。
この「長安」は唐の都のことではなく、北京の目貫き通りの一つ「長安街」のことです。「畀」(ひ)は「両手をあげて物を捧げ持つ」の意。
北京の長安通りは、一雨くると、もう道が泥やぬかるみだらけになる。駕籠かきたちが肩に輿を担いで前後のバランスを取りながら行くとき、いつも足を取られるのを心配して、何度も「把滑」(はかつ)と声をそろえて歌うように言う。
「把滑」は、「滑るのを把握せよ」というのですから、「滑るな」ぐらいの意味でしょう。
蓋諺云、前人喫躓、後人把滑。乃彼此相警之詞也。
けだし、諺に云う、「前人喫躓すれば、後人把滑す」と。すなわち彼此の相警しむの詞なり。
これはつまり、俗にいう、「前の人がよろめいたら、後ろの人は滑らない」(前の人の失敗を見て、後の人は警戒する)ということだ。「把滑」というのは、あちらとこちらで互いに注意を呼びかけあうコトバである。
さて、
一日埴在肩輿中、聞之。
一日、埴、肩輿の中に在りてこれを聞けり。
ある日、わたくし金埴は、駕籠の中で、前後の駕籠かきが「把滑」と言い合うのを聞いた。
その途端、
猛省、因写其声作把滑歌。
猛省し、因りてその声を写して「把滑歌」を作れり。
「ああ!」と心に強く反省することがあり、そこで彼らの言葉をモチーフにして、「滑るなよ」の歌を作った。
聞いてください。
呼把滑、長安道。小心多、失足少。呼把滑、輿人走。纔向前、即顧後。呼把滑、自相警。輿中人、亦喚醒。
「把滑」と呼ばう、長安道。小心多ければ、足を失うこと少なし。
「把滑」と呼ばい、輿人走る。纔かに前に向かえば、即ち後ろを顧みる。
「把滑」と呼ばい、自ら相警しむ。輿中の人も、また喚び醒ます。
「滑るなよ、へい」と声をあげて、長安の道を行く。細かいことに気をつけることが多ければ、足を滑らせることは少なくなるぜ、兄弟。
「滑るなよ、へい」と声をあげて、駕籠かきたちは駆けだした。少し進めば、振り向いて確認しあうぜ、兄弟。
「滑るなよ、へい」と声をあげて、自分たち同士で気をつけあう。そのとき駕籠の中の人も、足もとに注意しなければならないことに気が付いたぜ、兄弟。
けだし、人生の道もぬかるみだらけなのだ。
・・・・・・・・・・・・・・・・
清・金埴「不下帯編」巻四より。ラップぽくっていい歌ではありませんか。みなさん、雨降りにはもちろん、晴れた日でも気をつけましょう。