4月4日 今日は歩きながら寝るぐらい眠かった

五快活(五の快活)4・5(「袁中郎尺牘」)

五十年前、横濱の丘の下に住んでいたころ、見上げる坂の上には、でかい洋館がたくさんあった。犬やネコもいたのだ。おれたちはそのころ、最後にはあのでかい家に住めるのだと思っていた。美しい妻と幸福な家庭とともに―――

でも絶対今の境遇の方がシアワセだよね。はだかでいても奥さんにも怒られない。警察にはつかまるかもだけど。

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王さまの言うとおりです。さすがはハダカの王さまだ。
さて、昨日に引き続き、五つの快楽について。

千金買一舟、舟中置鼓吹一部、妓妾数人、游閑数人、泛家浮宅、不知老之将至、四快活也。

そろそろ老いてきても愛人数人だ。へへへ。こいつはまことの快楽だぜ。
しかしながら、

然人生受用至此、不及十年、家資田地蕩尽矣。

破産してしまいます。快楽のためだからしようがありません。

然後一身狼狽、朝不謀夕、托鉢歌妓之院、分餐孤老之盤、往来郷親、恬不知恥、五快活也。

以上の五つの楽しみを挙げました。

士有此一者、生可無愧、死不可朽矣。

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明・袁宏道「袁中郎尺牘」より「与龔惟長先生書」(龔惟長先生に与うる書)より。近視は七割が遺伝なんですか。近くで本を読むからだとかテレビ見るなとか言われたが、遺伝だから本人の責任ではなかったのだ、と開き直れますね。開き直って第五の快楽により夏場はハダカ、冬は新聞紙を巻きつけて、みなさんの会社や家の前で施しを待つ。門付けの歌をうたい、何もお恵みが無ければ、悪態をつく。いぬには吠えられるであろう。ネコにはしりたたきを命じられるであろう。これは確かに楽しそうですね。
王昌齢なんか流行歌の作詞家だから、そんなにマジメに作ってないんですよ、と言おうと思いましたが、このひと意外と読み込んでるではありませんか。賢者さまかも。ハダカで歩いているかも知れません。

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