五快活(五の快活)4・5(「袁中郎尺牘」)
五十年前、横濱の丘の下に住んでいたころ、見上げる坂の上には、でかい洋館がたくさんあった。犬やネコもいたのだ。おれたちはそのころ、最後にはあのでかい家に住めるのだと思っていた。美しい妻と幸福な家庭とともに―――

でも絶対今の境遇の方がシアワセだよね。はだかでいても奥さんにも怒られない。警察にはつかまるかもだけど。
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王さまの言うとおりです。さすがはハダカの王さまだ。
さて、昨日に引き続き、五つの快楽について。
千金買一舟、舟中置鼓吹一部、妓妾数人、游閑数人、泛家浮宅、不知老之将至、四快活也。
千金にて一舟を買い、舟中に鼓吹一部、妓妾数人、游閑数人を置きて、家を泛べ宅を浮かし、老いのまさに至らんとするを知らざるは、四快活なり。
千金のすごい大金で一艘の舟を買い、その船の中には音楽隊一隊、うたひめや愛人数人、ヒマな遊び人数人を乗せ、家を波間に浮かばせて放浪し、そろそろ老いてきたことにも気づかない。これが、第四の快楽だ。
そろそろ老いてきても愛人数人だ。へへへ。こいつはまことの快楽だぜ。
しかしながら、
然人生受用至此、不及十年、家資田地蕩尽矣。
然るに人生の受用ここに至れば、十年に及ばずして、家資田地蕩尽せん。
しかし、こんなにも人生にいいことばかりになってしまったら、十年もしないうちに、家も資本も田んぼも土地も、使い尽くしてしまうだろう。
破産してしまいます。快楽のためだからしようがありません。
然後一身狼狽、朝不謀夕、托鉢歌妓之院、分餐孤老之盤、往来郷親、恬不知恥、五快活也。
然る後には一身狼狽し、朝には夕べを謀らず、歌妓の院に托鉢し、孤老の盤を分餐して、郷親に往来するも恬として恥じざるは、五の快活なり。
それから後は、自分自身大混乱し、朝、自分が夕方どうなっているか予想がつかず、うたひめたちの住む家に乞食に訪れて追い返され、孤独な老人どうし皿の食べ物を分け合い、そんな落ちぶれた生活になる。しかし、郷里の人、親戚の人の前で全く恥ずかしいと思うことがない自由な境遇だ。これは、第五の楽しみである。
以上の五つの楽しみを挙げました。
士有此一者、生可無愧、死不可朽矣。
士にこの一者あれば、生に愧じる無かるべく、死するも朽ちるべからざるなり。
おれたちサムライには、このうちの一つでもあれば、生きているうちは気後れすることはないし、死んでからもその名が朽ちてしまうことはないであろう。
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明・袁宏道「袁中郎尺牘」より「与龔惟長先生書」(龔惟長先生に与うる書)より。近視は七割が遺伝なんですか。近くで本を読むからだとかテレビ見るなとか言われたが、遺伝だから本人の責任ではなかったのだ、と開き直れますね。開き直って第五の快楽により夏場はハダカ、冬は新聞紙を巻きつけて、みなさんの会社や家の前で施しを待つ。門付けの歌をうたい、何もお恵みが無ければ、悪態をつく。いぬには吠えられるであろう。ネコにはしりたたきを命じられるであろう。これは確かに楽しそうですね。
王昌齢なんか流行歌の作詞家だから、そんなにマジメに作ってないんですよ、と言おうと思いましたが、このひと意外と読み込んでるではありませんか。賢者さまかも。ハダカで歩いているかも知れません。