巨魚縦大壑(巨魚、大壑を縦(ほしいま)まにす)(「袁中郎尺牘」)
会社の中にいるとボウフラよりはましかと思ってしまうのですが、さて、どうか。もしかしたらボウフラにも負けているのかも。

おいらは井の中のカエル兄貴より一段下のヤモリだモリ。ボウフラよりはマシでモリ。
・・・・・・・・・・・・・・・
肝冷斎ではなく、明の袁中郎が言う、
一病幾作呉鬼。
一病、ほとんど呉鬼とならんとす。
ちょっと病気になって、あやうく江南地方で幽霊になるところでした。
おかげさまで何とか生き延びました。
此天憐我也。病時毎毎怨天、及官去病痊、始知天意止欲奪弟官。未嘗欲奪弟性命也。
これ天の我を憐れむなり。病時毎毎(つねづね)天を怨むも、官去りて病痊(い)ゆるに至りて、始めて知る、天意の弟の官を奪わんと欲するに止まるを。いまだかつて弟の性命を奪わんとするにあらざるなり。
相手より年下なので謙遜して、「弟」と自称しています。ほんとの弟ではありません。
これは、おてんとうさまがわたしを憐れんでくださったのでしょう。病気中はいつもおてんとうさまを怨んでおりましたが、会社を辞めたあとで病気が治って、やっとわかりました。おてんとうさまはおいらの職を奪いたかっただけで、おいらの命を奪いたかったのではなかったのだ、ということに。
則又感念此翁、以為真具天眼、真不愧作天。何也。
すなわちまた、この翁を感念するに、おもえらく真に天眼を具え、真に天たるに愧じず。何ぞや。
そしてまた、このじじい(おてんとうさま)について考えてみるに、本当に天の眼を持ち、本当に天の名折れではなかったのです。どういうこっちゃ。
自分で質問して、自分で答えます。
弟実不堪作官、奪官何害。官実能害我性命。則奪官正所以保全之也。
弟、実に官を作すに堪えず、官を奪うに何の害あらんや。官実によく我が性命を害す。すなわち、官を奪うはまさにこれを保全する所以なり。
おいらは、ほんとうのところ、もうシゴトを続けるのは無理でした。職を奪われても何の損害もありません。シゴトの方がわたしの命を奪おうとしていたのですが、わたしから職を奪うということは、本当はわたしの命を保ち、安心させてくれることだったのです。
乍脱塵網、如巨魚縦大壑、揚鱗鼓鬣。
たちまち塵網を脱し、巨魚の大壑をほしいままにして鱗を揚げ鬣(りょう)を鼓(う)つが如し。
すぐに汚れた現世の網を抜け出して、巨大な魚が大いなる海溝に好き勝手に泳ぎ、ウロコをはねあげ背ビレを叩いているように(自由に)なりました。
ああよかったなあ。
不惟悔当初無端出宰、且悔当日好好坐在家中、波波咜咜、覓什麼鳥挙人進士。
当初端無くも出宰せるを悔いるのみならず、かつは当日の好好として家中に在りて坐し、波波咜咜(ははたた)として、什麼(しゅうま)の鳥、挙人・進士を覓むるを悔ゆ。
最初は深いわけもなく就職してしまったことを後悔しておりましたが、それだけでなく、かつてにこにこしながら家の中に座って、ふわふわばたばたと空を飛ぶ鳥のように試験に合格して挙人や進士なろうとしていたことをも後悔するようになりました。
弟生平好作迂談、此談尤迂之甚。
弟、生平、迂談を作すを好むも、この談もっとも迂の甚だしきなり。
おいらは普段から、このんで遠回りする話をすると言われますが、このお話はあまりにも遠回りするお話でした。
然弟受用如此、亦怪井底蝦蟇不得也。一笑。
然るに弟の受用かくの如く、また怪しむ、井底に蝦蟇を得ざることを。一笑せよ。
ところで、おいらの修養の結果はここまで来ています。不思議にお思いになるでしょうが、井戸の底にガマはいません。(もはや井の中の大ガエル、ではないのです。)ひと笑いしてくだされ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・
明・袁宏道「尺牘」より「与黄綺石書」(黄綺石に与うるの書)。袁宏道は字・中郎、石公と号す。明・萬暦の湖北・公安出身の文人「三袁」と称される袁氏三兄弟の真ん中のひとです。王陽明や李贄の影響を受け、自由で新鮮な散文や詩を作りました。黄綺石はその友人、この手紙によれば袁宏道より年上のひとのようです。
井底蝦蟇は、「呪術廻戦」を参照・・・してもあんまりわからない、と思いますよ。
井底の「ガマ」と種類を指定している典故を知らないので、これは「井底のカエル」を少し強調しているということでいいと思います。
井底のカエル
「荘子」秋水篇にいう、
魏牟(ぎぼう)が公孫龍に言った、
子独不聞夫陥井之鼃乎。
子ひとり夫(か)の陥井の鼃(あ)を聞かざるか。
おまえさん、(みんなが知っている)あの井戸穴の中のカエルのことを聞いたことがないのかね。
謂東海之鼈曰吾楽与。吾跳梁乎井幹之上、入体乎欠甃之崖。赴水則接腋持頤、蹶泥則没足、滅跗。
東海の鼈(べつ)に謂いて曰く、吾楽しきかな。吾井幹の上に跳梁し、欠甃の崖に入体す。水に赴きてはすなわち腋を接し頤を持し、泥を蹶(け)れば足を没し、跗(ふ)を滅す。
井戸の中のカエルは、東海の海に棲む巨大なすっぽんに向かって言った。
「わしは楽しいぞ。わしは井戸桁の上に飛び跳ね、欠けた石畳の壁に体を入れ、水に飛び込めばわきが水面に、あごを持ち上げ、泥を蹴れば足は泥の中に入り込み、くるぶしまで埋まってしまう。
還虷蟹与科斗莫吾能若也。
虷蟹(かんかい)と科斗とを還りみれば、吾のよくかくのごとくするものなし。
赤いぼうふら・小さいカニ、おたまじゃくしの類の方をチラ見すれば、わたしのようによく飛び跳ねる者はどこにもいない。
且夫擅一壑之水而跨跱陥井之楽、此亦至矣。夫子奚不時来入観乎。
かつそれ、一壑の水をほしいままにして陥井の楽に跨跱するは、これまた至れるかな。夫子、奚(なん)ぞ時に来たりて入観せざる。
それに、ひとつの河海の水を好き放題にして、井戸穴の楽しみにふんぞりかえっているのは、ほんとうにまた究極のすばらしさである。だんな(すっぽんへの呼びかけ)、どうして時どきはこの井戸に入って、中をご覧にならないのか。
「どうぞごらんになってケロ」
「そうですポンか」
そこで、東海の巨大すっぽんは井戸に足を入れようとした。だが、左足さえ入らないうちに、井戸はみしみしと・・・。
もちろん、みなさんは井戸の中のカエルではなく、片足も入らない巨大で大谷のような東海の大すっぽん、わたしどもガマやカエルやおたまじゃくしとは違う側でしょう・・・と思いますけどね。